僕たちはさよならをした
「死にたい」と彼は言った。
悩みの理由はわからないけれど、どうやら彼は死にたいらしい。「そんなことを言うなよ」とか、「どうしたの?」とか、否定や同調、もしくは相手に何が起きたのかを聞けば良かったものの、僕の口から出たのは「そっか」だけだった。相手が死にたいと言ったときに、うまく作用する言葉を僕は持ち合わせていない。文章を書いているくせに、肝心なときに言葉が詰まるから、文章をどれだけ書いても意味はないのかもしれない。
なんて偉そうに語っている自分にも死にたいと思う日はあって、そんなときはなんと声を掛けられても効果がない。むしろすべてが逆効果で、励まそうとされればされるほどに、どん底へと突き落とされる。もしも説教じみたことをされようものならば、目の前のちゃぶ台をひっくり返して激昂するかもしれない。
否定も肯定もない言葉。何を言えばいいかわからなくなった末の言葉には何の効力もない。相手がほしいと思った言葉を瞬時に察知するのは容易ではなく、勘が冴えたときじゃなければうまくいかないものだ。何も言わず、相手の話をただ聞く。もはやそれに徹するしかないのだけれど、死にたい理由を話してくれるわけでもなく、目の前の彼は延々とお酒を飲み続けている。
人と会話をするたびに、帰り道にひとりでもっと話せばよかったとか、話しすぎたかなとか、頭の中でセルフ反省会を開催してしまう。頭の中にはずっと涙の洪水警報が鳴り響いている。会話で後悔する日はたくさんあって、それを数えるたびに自分の非力さが嫌になって仕方がない。こちらが話しすぎたと思ったときに、相手から「話しすぎてごめんね」と連絡が来たときは、向こうもそう思ってたんだと、そっと胸を撫で下ろす。
何も言えない僕のことなんかお構いなしに、彼はお酒を飲み続けている。30分しか時間が経っていないのに、もう3杯目に突入した。お酒が弱い僕からすれば、それは驚異的なペースだ。人は「死にたい」と思ったときに、お酒をたくさん飲みたくなるのだろうか。彼の気持ちはよくわからないけれど、彼の「死にたい」はもしかすると「生きたい」だったんじゃないかと今になって思う。
人は簡単に死にたくなって、生きたくもなる都合の生き物だ。なんらかの出来事が起きるたびに、嬉しいとか悲しいとか、そういった感情が芽生え、グラデーションのように揺れ動く。「死にたい」と「生きたい」をずっと繰り返す日々で、誰かに愛されたり、愛されなかったりもする。生きていれば、いい日だけでなく、悪い日もあって、感情が上下運動を繰り返しながらも、人は性懲りもなく生にしがみつく。
3時間という短い時間だったけれど、彼はお酒を10杯近くも飲んでいた。とてもじゃないけれど、僕にはとても真似ができない芸当だ。「楽しかった」と言いながら、肩を組んでくる。そういうところは嫌いじゃないし、むしろ好きの気持ちの方が大きい。
帰路に着く間際に、彼は「なんかどうでも良くなった」と言った。お酒のせいで彼の悩みなど、こっちもどうでも良くなっていたからちょうどいい。彼の悩みはお酒を飲んだだけで解決する程度の大きさだったのかもしれないし、は自分のしたい話だけをして満足したのかもしれないと思った。僕はこれ以上深く詮索しないし、彼の悩みが解決したのであればそれでいい。
「そっか」とだけ言い残して、僕は彼に大きく手を振った。