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或る夏の或る男の1つの物語

なんども挫折を繰り返しながら書き終えた原稿。書き終えた頃には、太陽が顔を出し、原稿を書きはじめたときに暗かった空は、もう日差しが差していた。

「クリエイティブがない」

ああでもない、こうでもないと言いながら書いた原稿は。呆気なく「NO」を突きつけられる。なにがわからないのかが、じぶんでもわからない。手探り状態の中で、なんども突き返される原稿。

いい文章が書きたい。でも、いい文章ってなんだろう?

それすらもわからない。いや、わからないってのは嘘だ。いい文章の定義はわかっている。人の心を動かし、前向きな行動につなげる文章だ。人の心を動かす文章を書けなかった。それはただの実力不足でしかなくて、悪いのは紛れもなく自分自身だった。

そんな自分が嫌になり、苛立ちを覚え、自暴自棄になる。あまりの苦しさにその苦しさから逃げたいと思った。

なんでこんなに苦しんでいるんだろう?

それすらもわからない。嫌なら逃げちゃえばいい。自分の中の悪魔がそっと耳元で囁く。それと同時に、「逃げたらだめ。期待を裏切るんじゃなくて、期待に応えてみせて」自分の中の天使が耳元で囁いてきた。

たしかに逃げてもいい場面はある。それは命の危険を感じた場合、もしくは自分が逃げてもたいした影響を与えない場合だけだ。逃げたらだめな場面では絶対に逃げてはならない。ここで逃げると、簡単に諦めグセがついてしまう。それだけは絶対に避けたい。

この諦めグセってのが本当に厄介なやつで、1度染み付くとなかなか取れないようにできている。諦めグセを付けるなんて、「かっこいい」を追い求めている自分の美学に反する。だから、最後までやり切ろうと決断した。

文章を書くために、デスクへと懸命にしがみ付く。眠気覚ましのアイスコーヒーを、ぐっと喉の奥へと流し込む。何度「NO」を突きつけられようと、それに屈しなかった。1つの文章を書くために、いったい何度徹夜したのだろうか。寝ぼけ眼をこすりながら原稿へと立ち向かう。逃げたい、逃げない。自分との戦いに何度も負けそうになった。

クライアントさんへの文章の提案の当日は、不安で仕方なかった。提案した文章は通らなかった。でも、みんなで話している最中に、どういう文章にするかが決まった。決まった文章の中には自分が書いた文章の要素もちゃんと入ってるという安堵感。

どんな文章にするかが、決定したときのクライアントさんの喜ぶ顔が忘れられない。

「ああ、僕はこの瞬間のために、ずっと文章を書いてきたんだ」

努力が報われた瞬間だった。苦しくて辛い出来事は、苦しさを乗り越えたその瞬間に、達成感と喜びを引き連れてきてくれた。

逃げなくてよかったし、最後までやりきれてよかった。そして、諦めグセが身に付かなくて本当によかった。

自分の小ささを知った。まだまだ実力不足なのは承知の上で、どうやって実力を身に付けるのかを日々考えながら生きる必要がある。それがたとえ茨の道だろうが、そんなものは関係ない。

これは努力が報われた或る夏の或る男の1つの物語である。

これから先の人生も、逃げたいと思う瞬間は必ずやってくる。でも、きっと「この出来事が必ず活きるにちがいない」と信じて、寝ぼけ眼をこすりながら、男はいつもどおりデスクへと向かうのであろう



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