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あの日、渋谷のスタバでこっそり泣いた

東京にはじめて足を踏み込んだのは、ベンチャー企業のインターンを受けるためだった。大阪から夜行バスに乗って、8時間ほどかけてやってきた。どこに降ろされたかのはもう覚えていない。見知らぬ土地に1人でやってきた不安、誰も自分を知らないという期待を抱え、東京にやってきた。

渋谷にはじめて降り立った瞬間に、「ここが渋谷かぁ」と田舎者丸出しの気持ちになったことをいまでもよく覚えている。どこを見ても、人、人、人。交差点を行き交う車。信号が青に変わる瞬間に、大量の人がなだれ込む、渋谷はいつだって「まるでお前のことなんか誰も見ていないよ」と言われている気分になるから安心する。

周りにたくさん並ぶ高層ビル。見知らぬ誰かはぶつかりそうになっても避けずに歩く。避けても避けてもそこには人がいる。何度人とぶつかっただろうか。これが東京の荒波に揉まれてきた人たちの強さなのかもしれない。立ちはだかる壁は立ち向かうことでしか乗り越えられない。こんなことはまだ知りたくなかった。

この話は後で知ったことだ。本当かどうかも定かではないけれど、どうやら渋谷は人が多すぎて、目の前の人を避けても次の人とぶつかるため、避けないらしい。

109にTUTAYA。テレビや映画、SNSでよく見た風景だ。スクランブル交差点を渡り、TUTAYAの前で渋谷駅前の風景を写真に収める。「はじめてきた」とだけ文言を添えて、渋谷駅前の写真をSNSにアップした。渋谷は誰もが知る街だから風景だけで、どこかがちゃんと伝わる。いままさに僕は東京にいると実感した瞬間だった。

高層ビルを掻き分けて、未開の土地を練り歩く。渋谷は坂が多い。一度道を間違えると、体力が想像以上に削られる。少し道に迷いはしたものの無事にインターンの会場に着いた。周りの就活生は、高学歴の人ばかりだ。東大、慶応、早稲田。頭の良さは一目瞭然で、低学歴の自分の居場所はないと思えるほどだった。

自己紹介で彼らのテキパキさに圧倒され、1度目のワークショップで地頭の差に圧倒される。当時は、低学歴をコンプレックスだと思っていた。高学歴の人を見るたびに、「自分はこの人よりも頭が良くないから」と何も言わず黙る始末。

なにもしていないのに、「自分がここにいてもいいんだろうか」と不安が頭を過ぎる。高学歴の人に見下されている。でも、その不安は当たった。

2度目のワークショップの際に、ある就活生が僕に意見を求めた。すると、別の就活生が「頭が良くない人の意見はあまり必要ないかな」と僕に言ってきた。きっと悪気はなく、思いの丈を声に出しただけ。ごめんとムカつくが交差する。でも、彼の言葉は当たっている。僕に抜群にいいアイデアなんて出せない。なにも言えないまま30分が無駄に過ぎた。

所要時間は2時間。ロジカルに、KPIが、市場調査を。日常生活では聞き慣れない言葉が、当たり前のように飛び交う。ビジネス本はそれなりに読んだつもりだった。でも、結局は地頭がものを言う。その事実にただ打ちひしがれていた。

ほとんどなにも進まないまま1時間半が過ぎた。僕たちに残された時間はあと30分。周りから苛立ちと憤りがひしひしと伝わってくる。歩みを止めない時計の針がやけに迷惑だと思った。別室で待機していた会社の人が部屋に入り「あと30分です」とアナウンスを告げる。「全然進まないですね」と1人の就活生がボソッとつぶやく。1人は必死に紙にペンでなにかを書いている。1人はペットボトルの水を、ぐっと奥まで飲み込んだ。

もうこの空気感に耐えられない。

拳を強く握り、爪痕を残そうと必死に勇気を振り絞る。震える声で1つアイデアを出してみた。そして、その案が採用され、僕たちは制限時間内に事業案を提出した。

結果は2位だった。自分のアイデアが通った喜びと、そのアイデアをなかなか言い出せなかった非力さ。その両方が自身の胸を締め付ける。インターンで得たものは、低学歴でもやれるぞという自信と、いまの自分では彼らに勝てないという劣等感だ。地頭のいい彼らと対等、もしくは越えるためにいまの自分になにができるんだろうか。2位になったのに、素直に喜べない自分がいた。

インターンの帰り道に、渋谷TUTAYAのスタバで将来を考えた。どんな人間でありたいか?どんな仕事をしたいか?思案を巡らせてみたものの、10年後に彼らに勝ちたいという思いはずっと残っていた。頭に思い浮かんだ言葉はポジティブな言葉だったけれど、なにをもってして勝ったと言えるのだろう?そもそも勝ったところでなんになる?それすらもわからない。

勉強をしているサラリーマンに、自分の将来を重ねる。友達と談笑している風景に、友達よりもいまは将来を真剣に考えろと自分言い聞かせる。見知らぬカップルが「今日は楽しかったね」とフラペチーノを飲んでいる。振り返ると、楽しさを微塵も感じなかったインターンだったような気がする。そんな己の非力さを恨む。たくさんの人で賑わうスタバで、声を押し殺しながらこっそりと泣いた。

努力は夢中に勝てないという言葉をどこかで聞いたことがある。それがもし事実であれば、楽しさを感じなかった僕は自分にすら負けていたにちがいない。勝ちたいのになにをもってして勝ちなのかもわからない。このままじゃきっとダメだ。そんなことはすでにわかっている。明るい道筋が見えないから苦しんでいるのだ。

はじめての東京は散々だった。あの日からもう8年が経つ。

そして、いまこの文章を8年前にインターンの帰り道に来た渋谷TUTAYAのスタバで書いている。あのときとなにが変わっただろうか。仕事を楽しいと思える自分がいることは確かだ。あのとき同世代に勝ちたいと思っていた自分はもうどこにもいない。勝ち負けの基準がわからなくなったからもう勝ちたいと思わなくなった。いわゆる逃げってやつだ。

そもそも自分の思い描いた人生とは、まったく別の道に進んでいる。本当ならサラリーマンとして、結果を残しているはずだった。でも実際の自分は独立して、文章を仕事にしている。

選ばなかった道と選んだ道。どちらが良かったなんて知らないし、知りたくもない。いつまでたっても消えない不安と一縷の希望を同時に抱えながらとうとう29歳になってしまった。

30歳になってもモラトリアム期から抜け出せないんだろう。夢を追いながら生きると決めたならその選択を正解にするしかない。どれだけ時間がかかってもいい。それに人生は遠回りが最短だと、気づいた瞬間にはじまるものだ。都合の悪いものは都合のいい解釈に変えてしまえばいい。そうやって自分に言い聞かせながら生きてやればいい。

カフェラテがあたたかくて身に沁みる。

あの日、自分でつけた火はまだ消えていなかった。

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