自分に求められているものがわからなくなった
物書きとして生活を始めて3年が過ぎた。物書きとしての3年間はめまぐるしいもので、希望の数よりも絶望の数の方が圧倒的に多かった。
希望を持った瞬間、やってくる絶望。実力不足。キャパオーバー。自分には持ってないものがあまりにも多すぎてそのたびに挫折したような気持ちを味わってしまう。
とにかく今は文章が書けない。
今までに文章が書けなくなったことが何度もある。その度に自分の才能のなさを嘆いたし、素敵な文章を書く人たちのことをうらやましく思えた。
なんで自分は書けないんだろうか?
考えれば考えるほど陥る負のループ。ボキャブラリーの少なさ?経験不足?自分の強みを活かせていないから?改善する要因が多すぎて嫌になってしまうよ。
文章を書くことができないからあえて文章を書く。
書くことでしか自分の存在を証明できないから。自分から文章を奪ってしまうと何にも残らないから。どれだけ不調だったとしても、その時の渾身の一撃をぶつける。ぶつけたとしても不発に終わるものもあるからその度に自分の力のなさを嘆く。
渾身の一撃が当たらないならそれは実力不足なんだろう。勉強をしなきゃならないし、いろんな経験をしなければならない。改善の余地があると信じてしまいたいから、自分の可能性をせめて自分だけは諦めたくないんだよ。
誰がなんと言おうと、自分のことを諦めることはもう諦めてしまったから、自分の可能性を信じさせてください。
ああ、でもどう足掻いても書けない。あの人のように書けたら。魔法のように言葉が思い浮かんだなら。なんて考えたものの、そんなものは劣化版コピーでしかないから、自分のオリジナリティを殺さないものを書いてしまいたい。
世の中に求められているものに個性なんていらない。個性が必要となるのは実力があるものが書いたコンテンツのみ。個人に影響力が付いて、やっと個性が発揮される。
でも個性を身につけなければ、影響力が身につかないというのも事実だからバランス感覚を養うのが本当に難しい。
誰かから依頼されて書くものに、個性なんて必要ない。どれだけ読みたいものを届けられるか。そして、自分の個性を殺してしまえるかが味噌となる。
「あなたの個性はなんですか?」
脱みんなと同じ。没個性。自分だけの特別な個性。アイデンティティと呼ばれるそんなもの。みんなと同じようなものは個性なんて呼ばない。
ああうるさい。誰かの手によって殺される個性。なかったことに簡単にできてしまうから世の中は厳しい。個性を身につけた瞬間、個性を殺してしまう事象を今まで何度も見てきたから、そんなものは実力を身につけてからで良いんだよ。
今の僕は自分が世の中に求められているものが何かわかっていない。だから迷走しているし、これっていう確信を持って動くことができていないから、いまいち馬力に欠けてしまっている。
スランプなのかそれすらもよくわからない。自分のできること、やりたいことを精査したら何かが見えてくるんだろうか?
あ、僕に求められてるものってなんだっけ?
鳥のように自由に羽ばたけたのなら、魚のように海の中を自由に泳げたのなら。僕はきっと自分が求められていることなんかで悩まない。
昨日自分のことを内省したものの、自分のやりたいことしか出てこなかった。現状の課題やネガティブな側面とは向き合えなかった愚かな私。なんて弱いんだろうって。
未来のことを考えるのはワクワクして楽しいからずっとしていたい。だけど、現状と向き合うのは自分のできていないことを認めることだから、少しハードルが上がってしまう。
わかっている。自分と向き合わなければ成長はないということは。それでも逃げたくなるんだよ。何かと理由をつけて自分と向き合いたくないんだよ。
でもやめよう。自分と向き合おう。今までの逃げてきた自分を許してしまおう。これから向き合えば良い。そして少しずつ変わっていけばもう御の字だろう?
僕は天才にはなれなかったから。
絶望も希望も全部、連れて前へ進んでいく。
喜んだこと。怒ったこと。悲しかったこと。楽しかったこと。
全て含めて自分を形成してきたものだから、全てを愛してしまおうと思うのです。