諦めに似た、消えそうな期待を抱いて
「長所はなんですか?」と問われたら。間髪入れずに「真面目」と即答する。捻った回答はできないところが真面目そのもので、その手の質問に対して、深く考えてしまうところもそれの性質が出ている証拠だ。真面目だけならいいけれど、それに加えて完璧主義な部分も持ち合わせているから厄介だ。己を生かすも殺すも自分次第。真面目は度を超えると生真面目になって、己の首を絞めるものだ。
与えられた仕事に真摯に向かうその姿勢は認めるけれど、深夜2時過ぎまで仕事をするのは少し違うような気がする。いいものを作りたいから納得できるまで時間をかけたい。そういった生真面目さが睡眠時間を奪っている事実に気づかないふりをし続けては。いつか来るであろうしっぺ返しに怯えながら毎日を過ごす。
深夜の0時過ぎにお菓子を口にした。普段なら絶対にしない行為を真面目に破ってみる。いや、普段の自分を裏切る行為はもはや真面目ではないのかもしれない。ふと自分の体重が気になって、体重計に乗ると1月よりも3キロも減っている。まずいとは思いつつも、新しい環境にストレスを感じているから仕方ないと割り切りたい情けなさもある。
ひとつの物事に対して、真面目に考える機会が多い。思考のほとんどがNACのいかないものばかりで、どうして言語化できないのだろうと真面目にへこむ日々。もっと自分に能力があればと願うたられば論。ないものねだりの中にある自分への期待。いつまで経っても少年ジャンプを読んでいたあの頃の自分のままで、仲間に笑われるぐらいの夢を持つ『ONE PIECE』のルフィの夢のなれの果てを追いかけ続けている。
ドラマや映画、アニメや漫画の主人公に自分を重ねる。でも、ヒーローは苦思いからなりたくない。今の自分を見て、幼少期の自分は胸を張れるのか甚だ疑問だ。以前、「不真面目も真面目にやる」と言ったら「あなたらしくていいね」と言ってもらえた。自分らしさとは一体なんなのか。一番接しているはずの自分自身がたまにわからなくなるときがある。でも、真面目に物事に取り組むのが自分らしさなのだろう。自分自身はわからなくとも、見ている人はきちんと見てくれているはずだ。他人の期待に殺されないように、それがいつしか自分への諦めにならないように、真面目に考えながら生きていくことしか僕にはできない。