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毎日更新が1600日を迎えた

本日で毎日更新が1600日を迎えた。これまでの節目ではそれほど喜びはなかったのだけれど、今回は喜びが込み上げている。当初は読者の方がたくさんいたのだけれど、日を増すごとに記事の閲覧数は減り続けていた。書けば書くほどに自分の実力不足が露呈していく。

臭いものには蓋をしたい。それでもアナリティクスの数値が気になる。毎日のように閲覧数をチェックする。それでも閲覧数は増えない。いつの間にかnoteの入力画面を見ることも辛くなっていた。自分に求められているものも、何が書きたいのかもわからない。仕事が忙しくなったことも相まって、毎日更新をやめてしまおうかとも考えた。それでも自分との約束を守り続けるために毎日更新は続けてきた。いつしか継続が足枷となり、楽しくて始めたはずの執筆が苦しみに変わっている。

心に余裕がないときは、いつだって視野が狭くなるものだ。他人の声に耳を傾けられなくなる場合もあるし、自分の声さえも疑いたくもなる。このままでは毎日更新をやめてしまいそうだ。自分との約束を守るためには一体何が必要なのかを必死に考えた。自問自答を続けた100日間だった。それでも光は見えず路頭に彷徨い続ける100日間だった。

毎日更新をやめたところで誰にも迷惑はかからない。自分との約束を守れなかったという後悔が残るだけだ。後悔は増幅を繰り返して、何をやってもダメだという劣等感へと変貌を遂げる。学生時代に諦めたサッカー選手という夢。そこに対する後悔は今も残り続けている。プロになれなかったという挫折が繰り出す自分に対する憎悪が体を蝕んだ。難病によってサッカーができない体になった。二度とサッカーができなくなるなんて思わなかった。こんなことになるのであれば、もっと必死にやれば良かった。こんな悔しさは二度と味わいたくない。だから、毎日更新をやめるときは、全てをやり切ったと満足してから終えたいと考えている。

毎日更新を継続するために必要な要素を考え続けた100日間だった。まずは初心に帰ろうと思った。何のために毎日更新を始めたのか。

誰のために文章を書いているのか。その答えは一貫して、「自分のために書いている」だった。もちろん誰かに読まれると嬉しいのだけれど、それだけが継続の理由ではないということだ。自分の心の整理のために今この場所で文章を書き続けている。たとえ誰にも読まれなくとも、文章を書く意味は十分すぎるほどにあるのだ。初期の頃に描いた文章は読み返すのも恥ずかしいくらいにお粗末なものである。書き続けてきたからこそ、人に読まれても恥ずかしくないレベルになった。過去に書いた文章に救われたり、青くせぇなと笑ったりもしている。毎日更新を継続している理由は自分のためだと改めて気づけた100日間だった。

今もこうして文章を書き続けているのは、自身の現在地を知るためなのかもしれない。たとえば文章が巧妙であったら、謙虚さを忘れて驕り高ぶる人間になる可能性もある。拙い文章と誰かが書いた文章を読み比べて、上には上がいるのだと自分に知らしめる。そうやって、謙虚さを忘れないように自分なりに工夫しているのかもしれない。SNSの中には上手い文章を書く人がごまんといる。その人たちに少しでも追いつきたいし、いつかは追い抜いてしまいたい。だから、再度ライターとして復活することにした。需要があるかどうかはわからないけれど、書かせてもらえる場所があるのであれば、ぜひ書かせていただきたい。

本日で毎日更新が1600日を迎えた。毎日更新と向き合い続けた苦しみが伴う100日間だった。1600日という節目を無事に迎えられたことを心から嬉しく思う。

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