あの日、自己啓発本が嫌いになった
大学時代、自分の人生を変える方法を常に模索していた。劇薬になるようなそんなきっかけをただただ求める毎日。
「何かきっかけがあれば自分は変われるんだ」と本気で信じきっていた。
「寝坊」という理由で1限の授業をサボり、昼から大学へ登校。つまらない教授の話。いっそのこと抜け出してやろうか。でもそんな勇気はもちあわせていない。
あの時、つまらない自分から抜け出すことができていたら、何かが変わったのかな。
1回90分の講義が永遠に終わらないそんな気がしていた毎日。テキストをただ読むだけの講義。もっと楽しい話を。ためになる話を喉から手が出る程に求めていた。
大学の講義が終わり、バイト三昧の日々。お金が必要だったから、ずっと身を粉にして働き続けていた。働けど働けど同じことの繰り返し。繰り返しの毎日に何も成長をしていないんじゃないかって。
目新しいことは何もなかった大学時代。たまに友人と酒を飲んだり、車で夜景を見ながらバカはしゃぎするなど、その辺の大学生が送るテンプレみたいな大学生だった。
テンプレみたいなつまらない人生を変えたかった。でも何をすれば良いかわからなくて、必死に頭を振り絞って出た結論は、社会人の話を聞くこと。
「実際に社会に出ている人の話を聞けば参考になるかもしれない」という安直な考えしか思い浮かんでこなかったんだよ。
とにかくいろんな社会人の話を聞いた。アルバイト先の社員さん。社会に出ているフリーター。就活で知り合った社会人。イベントで繋がった経営者。
たくさんの人が口を揃えて言う「本を読め」というアドバイス。人生を変えるには本を読めば良いんだと素直に信じて、たくさんの本を読んでいた。
経営者がオススメする本は片っぱなしから読んだ。自己啓発に社会のこと。漫画に小説。ジャンルは問わず、おすすめされた本をひたすら読む毎日。
そんな中出会った自己啓発というジャンルの本。出会った時は目から鱗のような知識ばかりがそこにはあった。
人生を変えるには「自己啓発本を読めばいい」と勝手に盲目的になっていたあの頃。きっと自分の将来に不安を抱え、自己啓発本にすがるしか自分を納得させる方法がなかったんだろう。
たくさんの自己啓発本。そこに書いてあるのは、大抵が「人生は自分次第だ」ということ。自己啓発本を読めば読むほど「自分次第」という文言を目にする機会が増えた。
違う。僕が求めていたのは、人生を大きく変えてしまうようなそんなきっかけだったんだよ。「人生が自分次第だ」ということは、とうの昔にわかりきって分かりきっていた。
わかっていることを読んでもワクワクしない。自分が求める物は自己啓発本にはないのか。期待から絶望への変換。何が自分に必要かわからなくなった。
自分を変える勇気が自分にはなかったんだよ。すがるように読んだ自己啓発本の結論がどれも同じということに絶望。人生を変える劇薬は自己啓発本にはなかった。諭されるように頭の中に入ってくる「自分次第」という言葉。
認めたくなかった。人生を変えることができない自分がいたことを。
変わりたかった自分と変われなかった自分。何かに挑戦して、失敗することを想像すると今一歩踏み出せなかった。
失敗すれば落ち込むし、やらなきゃよかったという後悔が2つ自分を追い込んでくる。そいつに耐えられる精神が当時の自分にはなかった。
いくら自己啓発本を読んでも、自己を啓発するだけで、自分は何にも変われちゃいない人生。
すがる思いで読んだ自己啓発本。そこには人生を変えてしまうような答えとは出会えない結末。
変えたかった。変わりたかった。でも変われなかった。
そして、僕は自己啓発本が嫌いになった。