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背景、恥の多い生涯を送ってきました

太宰治は、「人間失格」で主人公である大庭葉蔵に「恥の多い生涯を送ってきました」と言わせました。私も彼のように恥の多い人生を送っています。それは今後も変わらない事実として永遠に残り続けるのでしょう。

昨晩は早めに寝ようと思っていたのですが、アニメを観ていると朝になっていました。おかげさまでお昼過ぎに目覚めて、起きた瞬間に後悔に苛まれました。同じ過ちを何度犯してもそこから何も学んでいません。それどころか永遠に同じ場所を彷徨い続けています。このように大きな恥から小さな恥まで人に胸を張って言えないことばかりを抱えながら生きています。

お昼過ぎに目覚めて、ひとしきり後悔した後はけろっと過ごす。だから成長しないと言われも何も言い返せません。あなたのおっしゃる通りですし、全面的に同意しますが、何度あの手この手を尽くしても失敗からは逃れられないのです。もういっそのこと諦めた方が賢いのかもしれません。

窓の奥に流れる風景はそれほど変わりはなく、今の自分を見ているような気分にもなります。この世に産み落とされてからずっと劣等感と、どこから出てくるかわからない正体不明の自信を抱えています。だが、劣等感に救われていると思う瞬間があります。それがあるからこそ、努力を惜しみません。自分が天才じゃなくて良かったと安堵するほどです。もしも生まれながらの天才であったならば、才に溺れて己の身を滅ぼしていたに違いない。劣等感はいわば強みのようなものです、ここ数年は特に劣等感が功を奏しているような気がします。

恥の多い人生を32年間も過ごしているわけでありまして、この目まぐるしい日々に少し疲れを覚えているのも事実です。いつになったら落ち着くのでしょうか。書く文章は青臭いと言われ、自分の中の情熱が枯れていないと安堵する反面、いい加減目を覚ませと思う日々もあります。モラトリアム期は学生時代に卒業した方が楽です。大人になればなるほどそこから抜け出すハードルは上がっていきます。モラトリアム期とは、暇を持て余した人たちの余興に過ぎません。そこから生み出される感情はいいものばかりではありません。その感情が報われなかった場合は、嫉妬や憎悪になる可能性もあります。だからこそ、モラトリアム期からは早く逃れた方がいいのです。

最近はSNSで流れるショッキングなニュースを見ていると、不安と苛立ちを覚えてしまいます。いちいち揺さぶられる心に付き合うのも面倒なため、Xのアプリを削除しました。心に平穏が戻った気がして、最近は少しいきやすくなった気がします。そもそもなぜ人は争うのでしょうか。

それは各個人が己の正義を持ってしまうためです。「己の正義を持つ」は、悪ではありません。正義は己の美学のようなものです。時に自分を守る盾となりえます。ですが、正義を他人に押し付けてしまうから話がこじれてしまうのです。自分が正しいと思うことは視野を狭めている危険性を兼ね備えております。それを他人に押し付けることは暴力と言っても差し支えありません。正義と正義のぶつかり合いの成れの果てはもう言うまでもないでしょう。争いの火種になって、たくさんの人たちを傷つけるのです・

自分の正義を誰かに押し付けたことが、あなたにも一度はあるのではないでしょうか?

もちろん私にもあります。それはより良くしたいという思いがあってのことです。もしくは、承認欲求が悪い顔をした瞬間なのかもしれません。なんて都合のいい言葉を並べて、自分を正当化したいだけなのです。それが誰かのためになるとは限りません。争いの度合いが大きくなっていく可能性があります。この話は書くとキリがありませんので、またどこかでお酒を交えて話しましょう。

恥の多い生涯を送ってきました。失敗だらけの日々を過ごしています。失敗を前向きに捉えるならば、挑戦の姿勢を忘れていない表れなのかもしれません。あまりにも恥だらけの人生なので、恥をかくことに抵抗がなくなった可能性があります。恥をかいて他人に笑われて、そこから悔しさを見出して自分の原動力に変えて、これからも生きていきます。

今度機会があれば、あなたがかいた恥についてお酒を片手に聞かせてください。大丈夫です。あなたの体験談はエッセイにしないので安心してください。人の話を勝手に物語に加えるのは太宰だけです。彼は『女生徒』など他人が書いた文章をさも自分が書いたかのように見せています。それが今日まで評価されているのですから世の中って不思議で仕方ありませんね。

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