むだい
noteを書けなくなった。いいお題がまったく思いつかない。書けば書くほど結論にモヤモヤしては消すの繰り返し。毎日書くという日課を課してから550日以上の日がたった。
これまでにも文章を書けない日はあった。でも、今回のそれはいままでの書けないを遥かに凌駕している。なんてことを毎回言っているから、次に書けない日がやってきても、書けないの気持ちを更新するにちがいない。
なにかがあったわけではない。むしろなにもなさすぎるのが問題だ。緊急事態宣言が発令されてから、ほとんどのコミュニケーションがテキストで完了するようになったため、人との会話が圧倒的に減ってしまった。
そして、画面越しの情報を見るのが辛くなった。来る日も来る日も嫌なニュースばかり目に付いてしまう。僕は直接じぶんの目で見たものしか信じない主義なので、画面越しの情報は基本的に信じていない。
SNSでは辛くても、「大丈夫」と簡単に言えてしまう。そんな人たちをたくさん見てきた。画面越しに偽らざるを得ない状況、そして、その姿を望む聴衆。そんな関係性を見ていると、画面越しの情報を信じられなくなった。
本当のことを言ってしまえばいいのにと当人に言っても、おそらくその言葉は伝わらない。と伝える前から諦めてしまっている。SNSの活用の仕方は本人の自由だから好きにすればいいし、真実なんてその人だけが知っていればいいのかもしれない。
そんな生活を続けるうちに、人との雑談を大切にするようになった。すべてが本音だとは思っていないけれど、本人の声には重みがある。信じるのであれば、本人の口から出た言葉を信じていたい。
雑談の内容はなんでもいい。仕事の話に恋の話。やりたいことの話。趣味の話もすごく楽しい。有益な話も好きだし、無益な話はもっと好きだ。要は人との雑談が大好きだ。もしかすると、同じ時間を共有することに意味があるのかもしれない。雑談は相手を知るための有益な手段。じぶんを隠すことなく、本音で向き合っていたいと思っている。
画面越しの言葉が信じられないからこそ、当人の声を信じられるようになった。だが、現在は雑談すらも減っている。刺激がない生活を送り続けているため、インスピレーションが湧かないし、持ち前の妄想力もまったく発揮できない。
だからこそ、この事態が早く収束することを願う。雑談がしたい。そして、刺激を受けたい。そうすることで、また文章を書けるようになる気がする。事態が収束するまでは、じぶんのできることを淡々とやり続けるしかないね。
人に優しく、じぶんにも優しくで生きていこう。とりとめのない文章だけど、おしまい。