感情のグラデーションを楽しめるしなやかな人間でありたい
何も書きたいことが思い浮かばないとき、自分の感性が壊死していると感じる。そんなときは、パソコンを閉じて外に出る。日光を浴び、まるで植物が光合成を行うかのように、光を受けながら歩く。その行為に特別な目的はない。ただ感覚を解放し、環境に身を委ねる。
散歩を終えるタイミングは、その日の気分次第だ。1時間歩くこともあれば、5分で切り上げることもある。その間に見たものや感じたことを頭に溜め込む。例えば、草木が伸びていることや、街に新しくできた店、行きつけの店の装飾が変わったことなど。それらをすぐ忘れてしまう自分を知っているから、写真に残すことも忘れない。こうして、少しずつ鈍っていた感性を取り戻していく。
それでも感性が戻らないときは、すべてを捨てて頭を空っぽにする。何も思い浮かばないのは、余裕がないからだ。その余裕がないなら、自分で作ればいい。シンプルな話だ。強制的にでも頭に余白を作ることで、新しい感情を言葉に変えることができる。毎日生きているだけで、何かしらの出来事がある。それを言葉にするための余力を作ることが大切だ。こうして、一連の行動が徐々に文章になっていく。
自分のキャパシティの狭さに嫌気がさすこともある。そんなときは、アイスコーヒーを飲んで気を紛らわす。冷たい液体が喉を通るとき、その苦味や旨みを感じながら、「自分は生きている」と実感する。
心と体は常に連動している。どちらかが不調になると、やる気はすぐになくなってしまう。マイナスをゼロに戻すのは簡単ではない。丸一日かかることもあれば、1週間かけて少しずつゼロに戻していくこともある。その不調の度合いによって異なるが、そんな自分を改めて知る瞬間でもある。
昔の自分は、誰よりも強い人間だと思い込んでいた。その幻想を壊したのは、難病を発症し、自分の弱さに向き合わなければならなくなったことだった。弱さを認めるまでには、時間がかかった。でも今では、弱さと強さの両方を楽しめるようになった。強風で折れてしまうような硬い強さは必要ない。強さと弱さを兼ね備えたしなやかな枝のようにありたいと思う。
だから、書く。毎日書く。雨が降っても、風が吹いても、書くことをやめない。そしていつか、自分が書いた文章を読み返して、日々の感情の変化を楽しんでいる自分を、誇りに思いたい。