誰にも知られることなく終わった下書きたち
どんどん下書きが溜まっていく。note内に溜まった下書きを見てみると、なんと100個以上もあった。1年以上も毎日更新を続けていると、そりゃもう下書きの数が莫大な量になっていた。下書きの中には、タイトルが未設定のものもあれば、ほんの数行だけ書いて、書くのを投げたものもある。
でも完成した記事の下書きはひとつもない。きちんと自分の気持ちを吐き出せたからだろうか。それとも気持ちを言語化できたことに喜びを感じたからだろうか。もしかしたら毎日更新をしているから、気に入らなかったとしても、時間内に更新するために、無理矢理公開したのかもしれない。
当時の自分の気持ちはもう覚えていないけど、「毎日更新をしなければならない」というプレッシャーと戦っていたのは事実だ。
下書きは自分の気持ちを、言語化できなかったもので、積み上げられている。そして、文章と向き合うたびに、少しずつ下書きの数は増える。自分の気持ちを、うまく整理できなかった証拠だ。外に出すほどのものでもない。でも、1度は外に出そうとしたものだ。下書きは人間の気持ちを顕著に表している。
吐き出したいけど、吐き出せない。聞いてほしいけど、聞いてほしくない。うまく伝えたいけど、うまく伝える術を知らない。自分の本音を知られたら嫌われるかもしれないという恐怖もあるかもしれない。
自分の中で未消化のまま、どんどん溜まっていくものが下書きだ。とはいえ、下書きのような出来事は、現実世界でも起きている。
好きな人に好きと言わずに終わった恋。相手を傷つけるかもしれないと、グッと堪えた厳しい言葉。言いたくても言えなかった言葉たち。伝えたくても、うまく言語化できずに、伝えられなかった経験もある。
下書きに溜まっていく文章たちを、うまく埋葬できる術を知らない。そして、誰かに言いたかった言葉を、うまく消化できる術も知らない。
いつかは埋葬できるのかな。できなかったとしても、死んだらなにも残らないから、深く考えすぎなくていいのかもね。
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