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読者の心の導火線に火をつける

1日の限られた時間内に、1つの記事をnoteで書くを日課にしている。生活のための仕事もあるため、毎日書く行為は、隙間時間を見つけて書いている。

普段のnoteの執筆時間は約30分。1日24時間の限られた時間内で、いまの自分が出せるベストを尽くす。うまく書けたと思ったことはほとんどないし、隙間時間を見つけては、過去に書いた文章を校正したり、書き直したりしている。

たまにありったけの熱量を込めて、文章を書きたくなってしまう日があって、そのときばかりは30分の制限時間は設けない。その理由は30分でありったけの熱量を込める技を、僕はまだ持ち合わせていないため、執筆にかなりの時間がかかってしまうためだ。

ありったけの熱量を込めて書くときは、決まって自分に余裕があるときで、余白があるから書こうと思えるんだと思う。ありったけの熱量を込める行為は、その日はもうなにもしたくないと思うぐらいには疲れる。

自分のすべてを文章にぶつけるぐらいの勢いで文章を書く。

書き終えたときには達成感もあるけれど、熱量を込めすぎた文章に限って、あまり読んでもらえない傾向が強い。完全に力量不足でしかない。

文章を書いていてわかったことは、ある程度力を抜いて、ここぞというときに熱量を込めた文章のほうが読んでもらえるのだ。

これは野球のホームランを打つ感覚と似ていて、打者はボールを打つまでは肩の力を抜いている。そして、ボールがバットにミートしたときに、全力の力を込めている。音楽にたとえると、AメロやBメロがあるからサビが引き立つ。音楽はサビだけでも盛り上がるかもしれないけれど、それは音があるからにすぎないのだ。

文章も同じ要領で、物語を紡ぐ導線がきちんとあって、ここぞというときにオチがある。常に熱量が高すぎる文章は、ここぞというときの熱量が読者に伝わらないのだろう。

あまりにも熱量が強くなってしまうと、自分の伝えたい言葉の主張が強すぎるのかもしれない。やわらかい言葉で伝えるべきところも。強すぎる言葉に圧倒される。柔軟性を失い、読者の気持ちを置いてけぼりにして、自己満足の文章の出来上がり。

「あれも伝えなきゃ、えっとこれも伝えたい、ええいぜんぶ盛り込んじゃえ」みたいな感じで、文章を書いてしまうと、結局伝えたいことがわからない。そして、言葉の熱量に圧倒され、「もういいよ」と読者がなってしまうんだろう。

だから、熱量を込めて書くときは、自分の主張を抑える練習をしなければならないし、とっ散らかった伝えたい言葉を適宜整理して、1番強く伝えたい言葉がなにかをわかりやすく伝えるようにしなければならない。

熱量のある文章は好きだけれど、伝えたい言葉がなにかがわからない文章は、読者のためにはならない。肩の力を抜いて、ここぞというときにありったけの熱量を込める。そして、熱量を込めたからこそ、ちゃんと伝わってほしい。

最初から心に火がついた状態で、文章を読む人はほとんどいなくて、読者の心の導火線は徐々に火がつくものだ。

心の導火線にしっかり火がついた段階で、ありったけの熱量をもって、読者のボルテージを最高潮に持っていく。そんな文章が人の心を動かす文章だから、常に自分の書いた文章と冷静に向き合い、最高潮のボルテージで、クライマックスを迎える文章を書いていこう。

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