人生は前ばかりを向いて生きていくには長すぎる
ベーチェット病にかかってからもう2年近くが経つというのに、不安で眠れない夜がある。羊を数えても、いくら目を瞑っても効果がない。どうしようもない夜の数だけ心がどんどん疲弊していく。その事実がもどかしい。
難病の治療は自己注射によって進んでいるし、失ったものを数えるよりも掌に残っているものを数えようと決断したはずなのに。
両目ともに白内障にかかり、近くを見るときは裸眼、遠くを見るときは眼鏡をつけて生活している。誰かと一緒にいるときは、眼鏡をつけ外す理由を話さなくてはならない。右目の視野がほとんど欠けているため、歩くときはなるべく右側を歩いてもらうようにしている。しかも、いつ視力が失われるか分からない時限爆弾をずっと抱えてだ。
眼鏡をつけ外す生活に慣れたと思っていたのに、それを誰かに話すのがいちいち怖くて仕方がない。でも、話さなければ不思議に思うだけだと考えると、勇気を持って話す必要がある。
それなりに人生を楽しんでいるつもりだから、勝手に可哀想だと思われたくないし、余計な気を使わせたくない。自分が普通ではないとは認めたくないのに、普通に戻れないのが現実だ。口にしたくもない言葉を何度も口にしては、もう2度と戻れない現実に押し潰されそうになっている。
誰かと楽しくお話ししているときにふと頭をよぎる「あなたは目が普通に見えていいな」という醜い考えが頭からこびりついて離れない。他人を羨ましがっても意味がないし、そこから芽生える感情がネガティブなものという事実もちゃんと知っているはずなのにクソダサい。この劣等感は一生拭えないのかもしれないと思っている自分もいて、そんな自分だからこそできることはあると信じている節もある。
自身と真摯に向き合ってくれる人に囲まれている今の生活は気に入っているし、自分ほど恵まれている人間はいないのかもしれないとさえ思っている。2度と過去には戻りたくないけれど、あの頃があるから幸せな今があるのも現実だ。それでも飽くなき欲求がこの身を支配するときがたまにあって、うまく対処できればいいんだけれど、不器用さばかりが際立つ。
常に他人に優しくしたいと思っているのに、優しくできないときがあって、そんな自分を見るのがいちいち情けなくて、苛立ちばかりがどんどん募っていく。
2度と戻らない現実が悔しくて悲しい。時間は止まらず、刻一刻と進んでいく。ずっと前を向いて生きていたいけれど、たまに立ち止まったり、後ろを向いたりして、何を大切にして生きていきたいかを振り返る時間も必要なのかもしれない。きっとそこに自身のルーツが隠されていて、立ち止まる時間が無駄ではないと思えるのだ。
何回転んだっていいし、傷ついた箇所をじっと見つめて、次は転ばないように反省と実践を試みればいいのかもしれない。大切なものを握りしめ続ける人生でありたい。前ばかりを向いていては気付けないものもある。誰かと比べる人生ではなく、幸せに生きるためにどう生きていくかを真剣に考えられる人でありたい。