1年365日、毎日打席に立ち続ける意味
noteを1年半以上、毎日継続している。
最近は仕事が忙しくなってきたため、書く時間をどう設けるかがいまの課題だ。エッセイ以外の記事は30分で書くルールを設けている。でも、エッセイは30分では書けない。
「エッセイを仕事にしたい」
その気持ちがエッセイで結果を出す必要があるという思いを呼び起こした。エッセイ以外の記事ももちろん読まれたい気持ちがある。でも、エッセイはぜんぶ当てにいきたい。
書いたエッセイのすべてを当てるなんて無理だ。そんなことはとうの昔に理解している。でも、ぜんぶ当てに行くぐらいの気持ちがなければ、たくさんの人に読まれ、心に響くエッセイは書けない。エッセイで勝負したいのであれば、エッセイで結果を出す必要があるのだ。
そして、これまでにたくさんのエッセイを書いてきた。たくさんの人に読まれたエッセイもあれば、ほとんど読まれなかったエッセイもある。たくさんの人のエッセイを研究し、エッセイの書き方も変えた。すると少しずつ結果が出るようなった。
1年半以上毎日更新を続けた結果、たくさんの人から反響があったエッセイを2記事書くことができた。エッセイで結果を出している人からすれば、少ない数なのかもしれない。でも、エッセイ初心者からすれば、これは大いなる一歩なのである。
文章にまぐれ当たりはない。どんな結果にも必ず原因があって、原因を求めるためには、書いた結果を残す必要がある。僕がエッセイで少しだけ結果を出せた理由は、1年半以上、毎日打席に立ち続け、優秀な書き手のいい部分を真似したり、書き方を変えたりしたからだ。
質を生み出すためには、量をこなさなければならない。
ホームランを打ちたいのであれば、まずは打席に立つことだ。そして、改善を重ね、飛距離を徐々に伸ばし、ホームランを打てるようになる。僕は文章を毎日書き続けた結果、ホームランを2本も打った。そして、今後も果敢にホームランを狙いに行く。
「エッセイを仕事にしたい」
世の中が結果がすべてだからこそ、エッセイで結果を出せるよう日々改善を重ねたい。