First love

それは初恋だった。初恋のほとんどは実らず、泡になって消えてしまう。初恋が実ったわたしは、いわゆる勝ち組ってやつだったんだろう。でも、愛は突然消えてしまう。いつ消えるかわからない恐怖にびくびくしながら、わたしたちは今日も誰かを愛している。

わたしの初恋は人よりも遅く、高校2年の冬だった。幼稚園、小学校。中学校は「好き」がどういう気持ちなのかはわからなかった。青春漫画と言われる漫画はある程度読破したつもりだ。恋愛雑誌も読んだし、恋愛テクが載った本もたくさん読んだ。

でも、本には甘い言葉や胸キュンエピソードは載っていても、「好き」という実態については記載されていなかった。いや、記載されていたのかもしれない。単にわたしが「好き」に鈍感だったのだ。そして、人を好きになって、裏切られることが怖かった。

わたしは誰かに愛されたかった。恋に怯え、愛に飢え、それでいて、誰かをじぶんから愛そうとしないないものねだりばかりする女だった。「好き」がなんなのかを知りたい。

そんな時に出会ったのが、クラスメイトの悠真だった。彼は高校2年の冬に、地方から転校してきた。第一印象は、冴えないやつ。どこにでもいる普通の17歳の男の子だった。彼はわたしの席の隣に席を構えることになった。

無口なやつだと思っていたが、第一印象はすぐさま覆った。彼は人が好きで、じぶんからいろんな人に積極的に話しかけるタイプだった。いわゆる陽キャと呼ばれるやつだ。でも、彼は変わった人間だった。高校2年生といえば、友達と群れるのが普通だ。彼は縛られることを、極端に嫌った。どこのコミュニティにも属さず、あらゆるコミュニティの人間と仲良しだった。

誰だって取り残されることを、極端に恐れている。わたしも普通の高校生の1人で、友達に嫌われないように、みんなと同じを装い続けている。普通であれば、好かれたいよりも、嫌われたくないが先行するはずだ。でも、彼は嫌われたいよりも、好きになるを先行している男だった。

わたしとは真逆のタイプだ。わたしは嫌われる恐怖から逃れるために、コミュニティに属す方法を、いつも必死に考えている。その結果、コミュニティに属し続けることで、自分の自我を保っているのだ。わたしとは真逆のスタンスを持った彼に興味を抱いてしまった。でも、これが「好き」に変換されるとは思ってもみなかった。

悠真を一言で表すとすれば、「自由人」という言葉がふさわしいのであろう。休み時間になると、いつもどこかに行ってしまう。いつものように誰かと話しているのだろうか。悠真がどこでなにをしていようが、わたしには関係ない。わたしはわたしの高校生活を楽しんでいるのだ。

ある日、悠真が社会の教科書を忘れたことがあった。

「先生、俺、教科書忘れちゃったんで、隣の優花さんに見せてもらってもいいですか?」

なんでわたしが悠真に教科書を見せなきゃならないんだろう。悠真の席の隣にはもう1人人がいるじゃない。先生は悠真の提案を快諾した。そして、わたしは悠真と席をくっつけ、同じ教科書を一緒に見ながら、授業に参加した。

「ねえ、優花さんってさ。趣味とかあるの?」

わたしは写真を撮るのが好きだった。SNSで知り合った写真家と休日に一緒に街の写真を撮ったりしている。それがどうしたというのだ。でも、写真ぐらいしか好きなものがなかった。

「写真かな。お父さんにカメラをもらったから、休日にカメラを持って、友達と街の風景の写真を撮ったりしているよ」

「え、意外!写真とか撮るんだね。実は俺も写真が好きでさ。バイトでお金を貯めて、この前念願の1眼レフのカメラを購入したんだよ。写真ってそのときの風景を切り取れるだろ?カメラを構えているときは、レンズの中の世界がすべてなんだ。人が動く様や風景、見たものを残しておきたい。そして、いつか見返したときに、ああ、こんなことあったよなって思い出に浸りたいんだよね」

悠真の考えにはわたしも賛成だ。反論の余地がない。わたしたちは似たものなのかもしれない。いや、似ていない。わたしたちは真逆のタイプの人間だ。似ているはずがない。

カメラで話が弾み、なぜか今度一緒にカメラを持って、写真を撮りに行くことになった。あまり乗り気ではなかったが、悠真の押しに負けた。わたしはつくづく押しに弱い。またしても嫌われたくないが先行してしまったのだ。写真の話で盛り上がったため、社会の授業の話はちっとも記憶に残っていない。それにしても悠真は嫌われることが怖くないんだろうか。

第一回の写真撮影大会は、日曜日に行われることになった。写真を撮るときのわたしの服装はいつも軽快なものだった。身動きが取れず、シャッターチャンスを逃したくないためだ。駅前に12時に集合。遅れてはならないと30分前には駅前に着いてしまった。

すると、悠真の姿がもうすでにあった。悠真はいつから駅前にいるのだろうか。気まずくなって、集合の5分前になるまで、その辺を適当にプラプラすることにした。集合時間ちょうどに、悠真がやってきた。

「集合時間よりも早めに来た方が、その人に好意があるらしいぜ。」

この男は一体なにを言っているのだろうか。彼の理論が正しいのであれば、30分前に着いたわたしよりも早く到着していた悠真の方がわたしに好意があることになってしまう。細かいことを気にするのは面倒だったため、苦笑いでその場をやり過ごした。

猫がいる。シャッターを切る。ビルが立ち並ぶ。シャッターを切る。コーヒーを飲む。シャッターを切る。太陽が落ちる。シャッターを切る。目に見えるものすべてを彼は写真として残していた。写真に残さなくてもいいのではないかと思うものでさえも、彼はシャッターを切る。無邪気にカメラを構える彼は、どこにでもいるただの高校生だった。

写真撮影大会が終わり、彼とお別れをした後に、わたしは親に買い物を頼まれていたことを思い出した。彼はなぜか泣いていた。涙の理由はわからない。そして、見て見ぬ振りをした。気の利いた言葉を彼に伝えられる自信などわたしにはない。

彼が涙を流した理由を後ほど知った。彼は心臓の病気に罹っていた。明るく振舞うことで、誰にも病気を悟らせない。それが彼の精一杯の強がりで、彼の弱さであった。彼が写真を撮るきっかけになったのは、じぶんが助からないと知っていたためだ。じぶんの見た景色や生きた証を残すために、シャッターを切り続ける。シャッターを切ることで、じぶんの命はここにあったと叫ぶ。

わたしは彼に惹かれていた。彼に惹かれた理由は、じぶんと真逆であったこと。そして、カメラを愛していたためだ。彼の誕生日が近づき、手作りのお菓子を彼に渡そうと決めて、料理本を数冊本屋さんで購入した。

相変わらず悠真は、どこにも属さなかった。いろんなコミュニティにじぶんから顔を出し、愛想という愛想をたくさんの人に振りまく毎日。彼はたくさんの人から愛されていた。そして、悠真もその事実を快く受け入れていた。

日曜になれば、定例の写真撮影大会が開催される。相変わらず30分前に集合場所にいる悠真と、30分前に着いて、その辺で適当に時間を潰すわたしがいた。悠真は目に見えるあらゆるものを写真に残した。わたしは写真を撮る悠真を写真で残すようになった。

フィルムの中にはたくさんの悠真がいる。誕生日のときにサプライズとして、彼の写真を彼に渡そうと決めた。風景や食べ物、人物を残す悠真と、ただ1人の男を撮り続けるわたし。どちらが惚れているかなんて誰がどう見ても一目同然だった。

彼の誕生日が近づく。そして、ある日彼は学校に来なくなった。風邪で入院することになったようだ。2週間ほど時が経てば、いつも通り通学すると担任の教師がわたしたちに告げる。いつも通りの日常が流れる。

ところが2週間を経っても、彼は一向に学校に姿を見せない。入院先すらもわたしたちは知らされていない。先生に「悠真くんの入院先はどこですか?」とわたしは問い詰める。彼は地元福岡で療養中のようだ。

そして、次の日に「悠真くんは実家の都合で転校することになった」と先生が言った。これは直感だが、先生の言葉にわたしは違和感を覚えた。クラスの名簿から悠真の家の住所を調べ、わたしは悠真くんの家に行くことにした。

悠真の家のチャイムを鳴らす。お母さんと思われる人が出てきた。

「あら、悠真のクラスメイトさん?いらっしゃい。もしかしてあなたが悠真が言っていた優花さんかしら?」

「はい」と返す。

続けて悠真の母は、「悠真はいつもあなたの話ばかりしていたわよ。あなたの話をしている悠真は楽しそうでね。『俺、優花のことが好きだ』って言ってたわ」

なぜ彼は、彼女の口からわたしへの好意を告げているんだろうか。告白とは母が代理でするものではなく、じぶんの口で告げるものだろう。意味がわからない。

「悠真はいますか?」

悠真の母が、膝からこぼれ落ちる。

「ごめんなさい。悠真があなたに好意を抱いていたって話を、わたしから聞きたくなかったわよね。でも、悠真はもうこの世にはいないの。心臓の病気で一昨日に亡くなりました。好きになっても一緒にいられないからって、あなたに『好き』と伝えたくても伝えられなかったの。本当にごめんね」

ああ、すべてがつながった。彼がどこにも属さない理由も、ありとあらゆるシーンをシャッターで切り続けることも。集合時間よりも30分以上前に来ていたことも。そして、はじめての集合でわたしに言ったあの言葉の意味も。

大量の涙が流れる。わたしは彼を愛していた。恋は探すものではなく、勝手に落ちるものだ。無理に人を好きにならなくていいし、焦りは目を雲らせるため、焦る必要なんてない。焦らなかったおかげで悠真を好きになれた。

わたしは悠真に出会って、恋を知った。そして、彼も同じように、わたしを好きでいてくれた。でも、彼はもうこの世にはいない。

「これ、わたしがずっと撮り続けていた悠真くんの写真です。よかったらもらってください」

「悠真が生きていた証を、あなたが持っていてほしいの。あの子を忘れないでやってほしい。だめかな?」

「そんなわけありません。むしろ光栄です。わたしも悠真が好きでした。だから、ずっとわたしの胸の中で悠真は生き続ける。たとえ他の誰かを好きになったとしても、ずっとわたしの胸の中に残り続けます」

彼女はすべての真相を知った。そして、彼女は人を愛する喜びと悲しさを知った。

わたしの初恋は悠真でよかった。

悠真が撮った写真を、悠真の母からもらった。写真には笑顔のわたしがたくさんいた。いつ撮られていたのかがわからない写真ばかりだ。

「わたしこんな風に笑えるんだね」

「君の笑顔は素敵だったし、僕は君を愛していたよ」

もういないはずの彼がそっと微笑んだ。

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