J.D.サリンジャー/フラニーとズーイを読んで
J.D.サリンジャーの『フラニーとズーイ』(訳:村上春樹)を読んで感じたことを書きます。
サリンジャーの他作品の『ライ麦畑をつかまえて』と比べて、登場人物のフラニーとズーイの会話に迫力があって面白かった。
ただ、キリスト教の色が強く、その背景を知っていないとちゃんと理解するのが難しいのかなと思いました。
この本を簡単に説明すると、女子大生のフラニーと兄の俳優のズーイの物語です。
フラニーがエゴだらけの世界に対してノイローゼになり、神さまに救済を求めて毎日祈っています。そんなところに兄が来て、兄の言葉でフラニーを救い出すというような内容です。
この小説の中で、特に心に刺さった部分を3つ紹介します。
フラニーがエゴに悩まされて、ターゲットとなる教授を批判しているシーン。それに対するズーイの言葉。
ネガティブな感情が生まれた時の視点の向け方が参考になった。
自分ないし周りの人間で同じような感情を持った時に、それを取り巻く環境(システム)が関与しているということ。
なので、個人的な感情(好き嫌い)のフィルターを通してしまうと、仕組み自体に目を向けられなくなって負のループに陥ってしまう可能性があるということです。
何か物事がうまくいかない場合は、このことに意識したいと思った。
フラニーが悩まされているエゴ対するズーイの言葉
神さまはエゴについて判断できる(真理を知っているから?)が、人間はそんなことはできないので、エゴかどうかを判断する必要はない、と言っているように見えた。
自分が普段感じるエゴ(自分・他人含めて)なんてどうでもいいんだ。もっと自分に対して考えて生きよう、という気持ちになった。
フラニーの演劇を観る観客への批判に対するズーイの言葉
「アーティストが関心を払わなくちゃならないのは、ただある種の完璧なんだ」というのが良い言葉。
1人1人何かのアーティストであり、自身の日々の時間の使い方・立ち振る舞いなどを考えた結果行動することが大事なんだと感じた。
他人は他人、自分は自分、流行り廃れに流されず自分の核をつくっていくことに勤しもうと思った。
宗教や哲学の知識があるかどうかで感じる事が違うと思うので、もう少し時間が経ってからまた読もうと思います。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?