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工夫できる人と、できない人の差は、認知症になるか、ならないかの差でもある
昨日の記事を書いていて「工夫する」ということに気づいたことがありますので、今日は書いておきたいと思います。
世の中には、「工夫できる人」と「工夫できない人」がいます。その差って、一体何か考えてみました。
工夫できる人と、できない人の差
工夫できる人の考えとして、まず最初に「工夫しようと考えていない」ことがあります。工夫するための努力もあまりしません。そう聞くと、驚かれることでしょう。
工夫できる人は、どうすれば便利になるか、どうすればうまくできるようになるか、簡単になるかなど、考える力を持ち備えています。さらに、ゴールが見えているんです。最終形としてこうなれば良いという姿が見えているので、そこへ向かって進むだけに過ぎません。
それを一般的に「工夫すると言うんだよ」と思われるかもしれませんが、そうではないんです。
過程での多少の努力は必要かもしれませんが、できる人は、それを努力とは思っていません。
いま目の前にある物事に対して、工夫しようと考えるのではなく、見た時に、自然といろんなアイデアが浮かんでくるのです。そのアイデアを実現させた結果を見たら、工夫されたと見えるだけです。
理屈っぽいですか? では逆から話しましょう。
工夫できない人は、順を追って「うまくやろう」とか「上手になろう」と考えがちです。一歩一歩進むという意味では間違っていません。ただ、全体像やゴールが見えていないので、つまづいた時の回避方法を持ち合わせないのです。
プラモデル製作の例えでお話しましょう。
工夫できない人は、説明書を見ながら順を追って組み立てることでしょう。間違ってないです。いや、むしろ正解です。
しかし・・・
工夫できる人は、最初に完成形をよく観察します。どのパーツがどこに使われているのか、全体のパーツをまず眺め、組み立ての全体像を確認しています。
一方、工夫できない人は、完成形が見えないまま順を追っていますので、いま組み立てているパーツがどこに使われるのか、わからないまま進みます。
全体像とゴールが見えていれば、努力は必要ない。
工夫できない人は、目の前のことしか見えていなくて、さらに一直線な目線しか持ち合わせないので、うまくできなかった時には諦めがちです。
工夫できる人は、一つの選択肢でダメなら、別な方法がある、それでもダメなら、また別な方法と、やり方を変化させることができます。アイデアをいくつも出す力があるわけです。
工夫のできる人とできない人の差は、やり方の発想をいくつ持っていて、それを実行できるかどうかの差だと私は思います。
それは「性格」という言葉で片付けられてしまうかもしれません。だとしたら、できない人は永遠にできないとして諦めるしかないことになってしまいます。それでは悲しいですよね。
発想力、観察力、疑問と欲望の差
発想力というのは、観察力の差でもあります。同じ物を見ても感じ方や捉え方が違いますよね。その感覚をたくさん持っているか、持っていないかの差でもあるでしょう。
その差を一言で言うならば「なぜ?」という疑問と「もっと」という欲を持つかどうかです。疑問を持てば、もっと良い形が見えたり、自分ならこうするのにというアイデアが自然と溢れ出てきます。
工夫の差は感受性の差とも言えるでしょう。その差が、認知症になるか、ならないかの差、でもあると私は考えます。
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