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「生きる喜び」という言葉が気になったので、今日は少し書いてみます。

「人生、楽しんだもの勝ち」という言葉もあります。「楽しい」や「喜び」という感情は、一人ひとり違います。一緒に遊んでいても、感じ方がそれぞれ違うように、正解はありません。

「遊ぶためにカネを稼いでいる」という人がいます。仕事はお金を稼ぐためと割り切るのも悪くはないです。仕事そのものが人生だという人もいます。正解はありません。どう思うか?どうしたいか?だけのことです。

そんなこと改めて言われなくたってよく分かっている、と言われそうですが、分かっているなら分かっているなりに行動できているでしょうか? ここが現実の難しいところだと思います。

ドラマは「愛」、でも現実は?


映画やドラマなど壮大なスケールで描かれ、お金や名声を追いかけても、結局隣りにいる一人を愛することが、一番の生きる喜びだと知るストーリーが多いように思います。遠回りして結局身近に落ち着く安心感で終わります。

ドラマは夢であり、希望であり、結局は虚像なのです。現実でそんなに強い愛を感じるカップルはあまり見かけません。若い時はいたとしても、熟年カップルでは皆無に近いでしょう。

ドラマでは「生きる喜び」=「愛」を描かれることが多いのに、あまり現実的ではありません。では現実の「生きる喜び」って何だろう?

と、考え始めると夜も眠れなくなってしまいます(笑)

身近にあるものということで考えると、現実的には「他愛もない生活」「どこにでもある出来事」「誰にでも起こり得ること」そんな些細な事なのかもしれませんよね。

体は動かなくても、今が一番幸せ


私はいま、ダブルワークで、看取りの高齢者がたくさん入院されている病院で働いています。その人たちは、いまどんな気持なのか、気になっています。言い方は悪いですが、死を待っている状態に見えるからです。

毎日の楽しみはもう無くなってしまったのだろうか?
毎日、ベッドの上に寝たままで、何を思って生きているのだろうか?

「おむつを替えてくれてありがとう」と、感謝している高齢者もいると聞きます。「体は動かないけど、こんなに親切にお世話していただけて、今が一番幸せです」と言われると、介護する側も嬉しいですよね。そんな人ばかりだったら良いんですけどね。

一日一回笑うだけで、生きている喜びになる


若い時は大きな夢を追いかけている時が幸せだし、高齢になってからは、今日一日楽しいことが一つあれば幸せだと感じることもあります。看取りの高齢者にも、今日現在の「生きる喜び」は、その人なりに存在しているかもしれません。また、人によって違いはあるだろうし、固定化することなく、毎年変化しているかもしれません。

私の整体院に来られる高齢者には「最近大笑いしたのはいつですか?」「昨日笑いましたか?」などと、尋ねるようにしています。高齢になれば、一日一回笑うことがあるだけで、生きている喜びになると私は信じています。生きる喜びとは、身近で些細なものですものね。

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★整体師/りょう★ピンピンコロリのいきかた(認知症予防と健康寿命を延ばす方法)
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