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認知症で騒いだ父親を息子が殺害することは、明日の私かもしれない

実の父親を息子が絞殺すという、とてもいたたましい事件がまた起こりました。同様の事件は年間何件起こっているのだろう?

兵庫県警加古川署は10日、同県稲美町中村の無職屋山又一さん(88)を殺害したとして殺人の疑いで、同居する息子の無職屋山幸弘容疑者(63)を逮捕した。署によると容疑を認め、「父が認知症で夜中に大声で騒ぐのでずっと眠れず腹が立ち、電気コードで首を絞めた」と話している。

YAHOO! JAPAN ニュース

ニュースで報道されるのはこの程度の情報です。ワイドショーではもっと掘り下げて取材していることもあります。このような事件は、聞けば聞くほど、辛いです。


加害者となった息子だって、ある意味被害者です。


このタイプの殺人事件は、病気だからと放置していたわけでもなく、介護疲れで精神的に追い込まれた末の事件が多いです。裁判で介護疲れが認められると、情状酌量の余地があり、刑が軽くなることもあります。とはいえ、れっきとした殺人事件です。亡くなった人は帰ってきませんし、罪を犯した人は生きている限り、心に残り続けます。

こんな時、「お金さえあれば」なんて考える人もいることでしょう。世の中の辛いことの多くは、お金で解決できることが多いです。

お金さえあれば、専門施設に入れることも可能だったでしょう。あるいは高度な治療に専念できた可能性だってあります。いやそもそも、認知症にならずに済むような生活ができたかもしれません。

と、お金のことばかり言っていると嫌われそうですが、本音ではありませんか?


お金よりもっと大切なことは、

認知症に対する知識ではないでしょうか?


認知症にならないための知識と行動が、私は必要だと思います。また、認知症になりかけた時、いわゆる予備軍と思われた時から、何らかの手立てがあれば少しは変わったかもしれません。

未遂事件はニュースになりませんから、私たちはその数を知りません。未遂すら満たないフツフツした感情を持った人の数を数えると、高齢者の数よりも多いのではないかと私は思います。

明日は私が殺人するかもしれません。あなたが殺人を犯すかもしれません。これは他人ごとではなく、自分の近い将来の話だと受け取るべき事件です。


そもそもこうなってしまう、元はどこになるのでしょう?

高齢化、少子化が進み、国の財政がひっ迫していることはすでに報道されているとおりです。では対処するべきことは既に明白なはずです。なのにできない国に責任があることは、一般的な目で見る限り明らかです。

なんてこと言っていたら、国会議員の声が聞こえてきた。

私たちは国民のためにあらゆる手を尽くし、いろんな施策をやっています。困っている人を助けるための制度もたくさんあります。その制度を上手に活用してください。相談できる窓口もたくさん用意しています。どうぞ遠慮なくご利用ください。

これは私の勝手な妄想です。でも国会議員に言わせると、だいたいこんな感じじゃないかと思うのです。ごもっともな正論ですが、綺麗ごと、他人ごと、とも受け取れます。制度を上手に使えない国民が悪いと言わんばかりです。


自分の身は自分で守る


結局そうなると、大事なのはお金だということになってしまいます。なんだか悲しいですけど・・・。また一緒に考えましょう。

サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。