悲劇的なデザイン、そしてブラックミラー
昨年末にBNN新社さまより『悲劇的なデザイン(原題:Tragic Desgin)』をご恵贈頂きましたので紹介文を書きます。
著者はIntuitのシニアデザイナー、ジョナサン・シャリアート氏とShopifyのデザイナー、シンシア・サヴァール・ソシエ氏。ちなみに装丁は『UIデザイナーのための Sketch入門&実践ガイド』と同じく、APRIL FOOL Inc. の中山正成さんです。
本書は”ひどいデザイン”や”失礼なテクノロジー”がもたらした影響について、人命が失われたケースから精神的な苦痛、アクセシビリティの観点など、多岐にわたる事例を紹介しています。
表題に「デザイン」とあるためデザイナー向けの本と思われるかもしれませんが、デザイナーも含め、サービス開発に携わる全ての職種の人間(特に意思決定権を持っている人)が一読すべき良書と言えます。
『悲劇的なデザイン』の構成
本書は
・イントロダクション
・デザインは人を殺す
・デザインは怒りをあおる
・デザインは悲しみを呼ぶ
・デザインは疎外感を与える
・ツールとテクニック
・私たちにできること
・手本になる組織
の8章で構成されています。この構成はうまく設計されているなと思っていまして、まずはじめにセラック25やフォード社のピントなどの人命に関わる事例について紹介されているんですよね。自分はここでグッと掴まれて、最後まで読み終えることができました。
印象に残った章
どれも読んでいて心に残る章立てでしたが、特に印象に残ったのは4章と5章。
4章で触れられているFacebookの「今年の振り返り」にまつわるエピソードやTwitterの悪用など、意図しなかったシナリオにどう対応するかといった視点や、機能開発の優先度付けは適切なのか?という問いかけにはハッとさせられました。
ユーザーを理解しないまま「ユーザー」という言葉を使い、自分たちの思い描いた生活しかしていないと思い込み、常に希望に満ちている「ユーザー」のためにデザインを提供する……本書ではそれを「ユーザーのDribbble化」と書いています。手を動かす前に考えるべきことはたくさんありますが、根源にある「人間について考える、知ろうとする」ことの大切さを説く一節だと感じさせられます。
なんらかの体験を生み出そうとするとき、私たちデザイナーは、ユーザーに喜びや楽しさ、価値を実感してほしいと考える。
(中略)
しかしそうした姿勢で仕事をしていると、実際のユーザーや彼らの実生活に即した、ユーザーの失敗を想定したデザインをできなくなる。そのことは、DribbbleやBehanceといった、デザイナーの作品とそのコンセプトを紹介した人気のウェブサイトを見ればすぐわかる。
p.111
「最悪の事態とは何か」を自分の胸に尋ね、答えが誰かが傷つくことや、殺されることの場合は、たとえ発生の確立がほぼゼロでも、必ずその対策を最優先にしなくてはならない。
p.130
また、アクセシビリティやインクルーシブデザインについての事例が紹介されている5章は、正直なところタイトルから想定できなかった(それを自分が”悲劇的”と捉えられなかった)のもあり、多くの発見を得られました。
私たちはあの手この手で、アクセシビリティに投資するようステークホルダーを説得する。しかし実際には、意見をアピールする必要などないのかもしれない。仮にビジネス面で理に適ったことではなくても、単純に人として正しいことなのだから。
p.153
本書では悲劇的なデザインを予防する手法やプロセス、考え方について繰り返し述べられており、参考になります。
設計をおこなう人間にとって、ifシチュエーションを想定しないまま進行するプロセスは避けたいところです。例えばコンセプトの段階では「誰が影響を受けるのか?(良い意味でも悪い意味でも)」「悪用されるとしたらどのような使い方が考えられるか?」、設計の段階なら「このインターフェイスは使う人の状況と合っているのか?」「失敗した状況ではどのように振る舞うのか?」といった問いかけが役立つでしょう。さらにはそこからもう一段回掘り下げて「実際にそのシチュエーションに陥った時、私たち(あるいは私たちのプロダクト)はどうするのがよいか」まで認識合わせができると初動で適切に動けると思います。
初期フェーズでは「自分たちの考える理想的なシナリオ」に思考が集中しがちですが、同じくらいの熱量でそこから外れたパターンを考える時間を設けることも大切です。カスタマージャーニーマップやユーザビリティテストといったメジャーな手法はチームの認識を合わせたり事前の予防に役立ちますし、個人的には理想シナリオにすべて疑問符を付けてifルートを模索するのも予防策として機能するのではと思います。
悲劇的なデザインとブラックミラー
さて、悲劇的なデザインと言われると自分は『ブラックミラー』が頭に浮かびます。
ブラックミラーは『スペキュラティヴ・デザイン』で紹介されたことで、その文脈で語られることの多いイメージのある作品ですが、そのエピソードには「テクノロジーがもたらした悲劇」と言えるものがいくつかあります(以下、軽いネタバレを含みます)。
例えばシーズン1のエピソード3「人生の軌跡のすべて」では、自分の目を通して見たものが記録できるチップのおかげで、人生のすべてを残せたり(ライフログの究極系と言えるでしょう)、飛行場のゲートを安全に通るために過去の記録を参照したりと、効率化や豊かさに繋がるテクノロジーであることが強調されます。ですが物語は、過去の記憶や言動に固執してしまった主人公が辿る悲劇的な結末を描いています。
シーズン3のエピソード1「ランク社会」は、他人からの評価がそのまま社会的評価に繋がるシステムが舞台装置として機能しています。建物への出入りを制限したり自宅購入費が安くなるなどの信用代わりになる一方で、常に誰かの投稿にいいねをし続けなくてはいけなかったり、ランクを下げないために綺麗な立ち居振る舞いや言葉づかいをしなくてはならないなど、本当に正しいと言えるのか疑問に思わされる世界観となっています。
シーズン4のエピソード2「アークエンジェル」は自分の子供にインプラントを施した母と娘の物語です。手術によって、母親はタブレットを通して娘が視ているものを自分も見れたり、心拍や精神状態、位置情報を把握できたり、有害と思しき対象や言葉にフィルターをかけることができるようになります。娘が成長した後はシステムを休止していた母親ですが、あることをきっかけに再びタブレットを手に取り……という筋立て。最終的には娘が母親に反発し、タブレットを破壊したうえで家出します。
これらのエピソード、悲劇的な面はありつつも実のところ「正しいストーリー」と捉えることができるのではないかと思います。テクノロジーが在って、それによって幸福を得るシナリオもあれば、そうではないシナリオも存在する。前者も後者も含むのがストーリーなんですよね。それは『悲劇的なデザイン』が述べてきた「人間を知り、テクノロジーの影響について考えること」と同じなのではないかと思うのです。
ユーザーのことをしっかり知れば、現実の人生にはいくつもの浮き沈みがあり、大冒険もあれば退屈な午後も、楽しみも悲しみもあるとわかる。それなのにデザイナーは、どうしてもユーザーは理想的で前向きな、善意を持った人物だという虚像に囚われがちだ。ユーザーは昼ドラの登場人物ではないし、出番が終われば人生を歩むのをやめるわけでもない。その事実を忘れてしまうことは、デザイナーが最初に犯しがちな過ちと言える。
p.112
『悲劇的なデザイン』と『ブラックミラー』、新年の読書と視聴のお供にぜひ。おすすめです。