見出し画像

【ご報告】兵庫県明石市に移住しました。

2020年9月からアドレスホッパーとして日本中・世界中を転々としながら生活していましたが、タイトルの通り「兵庫県明石市」に移住しました。

これからは(フットワーク軽く移動することはあると思いますが)基本的には明石を拠点に暮らすことになります。


当初は大体1ヶ月ほど、長くても3ヶ月ぐらいの【 期間限定 】でスタートしたアドレスホッピング生活でしたが、気付けば「丸2年」続けていました。

この2年間で滞在したと言える町を列挙してみると

小樽・札幌・阿寒摩周・新潟・佐渡島・小川町・つくば・成田・浅草・銀座・赤坂・渋谷・新宿・横浜・小田原・箱根・熱海・下田・伊豆長岡・三島・静岡・甲府・黒部・富山・金沢・名古屋・京都・奈良・大阪・南紀白浜・串本町・神戸・鳥取・出雲・広島・北九州・博多・長崎・熊本・宮崎・那覇・シンガポール・マニラ(フィリピン)・ホーチミン(ベトナム)・クアラルンプール(マレーシア)・バンコク(タイ)・etc…

と数えきれないほどになります。
(抜け漏れあるかも&泊まらずに訪れた町はもっとある)


そんな風に転々としながら暮らしていた僕でしたが、この移動生活も「これにて一区切り」という感じで、これからは明石に腰を据えて生活していくつもりです。


ということで、
この記事では、明石移住を報告すると必ず聞かれる質問の

「なぜ "拠点を持つ" と決めたのか?」
「なぜ移住先を "明石 "にしたのか?」

に対する答えを書き残しておこうと思います。


なぜ「拠点」を持とうと思ったの?

まずは「拠点を持つことを決めた理由」から。
端的に答えるならば下記の2点が決め手でした。

① 妻と一緒に住みたいと思ったから
② パンデミックが終わり始めたから

それぞれ簡単に説明します。


① 妻と一緒に住みたいと思ったから

アドレスホッパーと自己紹介をした後に話すと驚かれるのが「結婚している」という事実です。結婚して約1年半ほど、アドレスホッパーのまま[別居婚/週末婚]のようなスタイルで新婚生活を送ってきました。

というよりも、移動生活を始めてから約3ヶ月後に付き合い始め、その2ヶ月後ぐらいにはスピード入籍したので、お互いにそれまでの生活スタイルを変えずに暮らしていたのが正しい表現かもしれません。(僕が元々「結婚するなら別居婚派」だったのも影響してます)

しかし、今年2022年春の『妻に気付かれないように海外生活してみた。』という実験を経て、僕の方から「一緒に住まないか?」と提案。それから前向きに検討を始めて、今月にようやく引っ越しが完了した形になります。

(この気持ちの変化についてはこちらの記事で書いている部分もあるのでご参照ください)


② パンデミックが終わり始めたから

その上で、もうひとつの理由として「パンデミックが終わり始めてきたこと」も決断に大きな影響を与えました。

先月末にも『アドレスホッパーという生き方は、パンデミックだからこそ成立した。』という記事を書きましたが、僕が移動生活を苦なく実施し続けられたのは、この特殊な社会状況のおかげだったのだと感じています。

移動する人が少ないからこそ、観光地でのんびり過ごしやすい。
宿泊する人が少ないからこそ、直前でもホテルを予約しやすい。

そんな状況だったからこそ、アドレスホッパーとしても快適な環境で理想の生活を実現できていたのだろうなと。

全国旅行支援が始まり、海外からの入国制限も撤廃されてきた今、どの町も人が増えてきて宿の予約も取りにくくなってきている実感があります。その肌感があったこともあり、心置きなく拠点を持つ決断ができました。


なぜ「明石」を移住先に選んだの?

続いて「移住先に熱海を選んだ理由」を。

明石と言えば「子育て支援政策」を思い浮かべる人も多いと思いますが、ぶっちゃけ現時点で僕たち夫婦の間に「子ども」の話は出てきていません

(ただし、子育て支援を手厚くする政策を実施した泉市長には関心があったので、最後の決断の後押しのひとつに「泉市長のいる街に住んでみたい」という気持ちはありました)

じゃあなぜ「明石」を選んだのか。

理由はシンプルに【 夫婦でお互いに住みたい町の条件を出した結果、最適な選択肢が "明石" だったから 】です。

僕たち夫婦は2人ともフルリモートで仕事ができるため、極論を言えば「住む町は世界中どこでもいい」わけで、その中で選択肢を絞るために

・海や水辺が歩いて行ける範囲にある
・他の地域に行くのに交通の便がいい
・スーパーなどで買える魚が美味しい
・雪が降らない / 車なくても生活できる
・妻の地元でもある九州は選択肢から外す
・etc…

などなど条件を出し合いました。
そして、該当する町をリストアップして、最終的に選んだのが「明石」だったというわけです。

元々の知り合いは1人もいませんし、明石内にコミュニティの香りも今のところ感じてはいません。が、地元の鳥取にも帰りやすくなり、新幹線を使えば熱海や小田原にも行きやすい場所ではあるので、「仕事の場所」と「コミュニティに所属する場所」をしっかり分けられるのは個人的に心地よく感じていたりもします。


まとめ:これからの人生がますます楽しみです

というわけで、アドレスホッパーを卒業し、兵庫県明石市に移住したことを報告させていただきました。

最後になりますが、今回の決断に大きな影響を及ぼしたのは、今年の5月に書いた『アドレスホッパーの悩み。「帰る場所がない不安」』という記事でした。

この記事の中で「たまに【 帰る場所がない 】という切なさに押し潰されそうになることもある」と書きましたが、振り返ってみると今回の移住の決断には「帰る場所を作る」という潜在的な想いが反映された気がします。

そして、上記の記事の「最後」に自分が書いていた言葉を、ここでも紹介して終わろうと思います。

いつの間にか「アドレスホッパーの悩み」というより「僕の個人的な悩み」になってしまった。思考を整理せずに書き始めた結果、支離滅裂な文章になってしまったようだ。

でもきっと、数年後に読み返したとき「あの時のこの記事が転機になった」と思うような気がする。1年に何度かあるクリーンヒットの予感がする。

今の素直な気落ちを書き殴っておいた。
未来の俺よ、ちゃんと受け取りやがれ。

https://note.com/ryokan1123/n/n88b1274328d9


まさに「あの時のこの記事が転機になった」のかもしれません。
これから32歳を迎える僕の人生は、また大きく加速しそうな気がします。


まだまだ人生、楽しくなりそうだ!


では、また。


ここから先は、有料マガジン 月刊りょうかん — 表で言えない本音とかさ(月額780円) の購読者限定になります。



実は出会ったとき(2013年)には妻を含めたインターン同期でシェアハウスしていた時期があったんですが、妻と "二人" で暮らすのは今回が初めてになります。

引っ越しから今日で3週間ほどが経ち、現時点で感じていることを徒然なるままに書いてみたいと思います。

ここから先は

1,121字
オープンな無料記事では書けないような毒吐く姿も見えるかも・・・?(わかんないけどね)

無料記事では書けない内容を、こっそりと遅いインターネット上に残しておくための有料継続マガジン。最低月1本は投稿予定ですが、気分が乗ればたく…

この記事が参加している募集

サポートしていただいたお金は、CAMPFIREパートナーの認知を広め、より多くの人にクラウドファンディングを安心して利用してもらうための活動資金として使わせていただきます。