不穏なベース。無関心かと思えるほどクールに刻み続ける虚無なドラムス、不安感を煽るギターにヒステリックなホーンが金切り声で沸点を告げる。その間約2分。そこに唐突にデニス・エドワーズの野太い歌が闖入してくる。言わずと知れた名曲、The Temptationsの“Papa Was a Rollin' Stone”(1972)。70年代、モータウンのアーティストたちに新境地を拓いた作曲家ノーマン・ホイットフィールド十八番のサウンドである。
それまで、ヤング・アメリカの新しいポップスをデトロイトから、そんなモータウンのメッセージを体現してきたテンプテーションズが、デイヴィッド・ラフィンの脱退などグループとしても試練にぶつかる時期に、勃興するメッセージや社会不安をいち早く採り入れた所謂“社会派ソング”である。
さておき、パパが石で転がったのは突然のことだった。夜中に背中が引き攣る感じがして目が覚めた。位置的に、少し腰を傷めたか、という感じであった。それで騒ぐのも大人げない気がして、そのまま息を殺して二度寝をしようとするが、どうも痛みが強い。その強みは腹部まで広がって、前後から内蔵を圧迫してくるような感じだ。それでも、唸り息を殺しながら二時間は我慢したであろうか、ついに耐えかねて二階に這っていく。これはいつもとは違う。非常事態であること間違い無しの脂汗、もはや立っていることもできない。うずくまって、身を捩りながら壁を叩く。これは、救急病院だ。
20分後には病室で相変わらず身悶えしていた。一番楽な姿勢で、と言われるが、どこをどう向けてもこの未知の痛みはおさまらない。ストレッチャーから頭を飛び出させ、右足を交差して左側に伸ばした状態が一番痛みが小さく感じられた。それをみた看護師が「●●さんが落下します!」と叫んだ声で、「あ、すみません。もとに戻しますぅぐぅうぅっ」と、気をつけの姿勢で天井を見上げる。みるみる点滴が施され、腹部のエコーも駆け足に、MRIの撮影にストレッチャーが高速で押されていく…。
私は、病院では優等生だ。というより、優等生な患者でありたいといつも思っている。病院でクレームを言ったことはないし、もし私が病院で死ぬことがあっても、決して医師やスタッフ、病院に文句を言ってはいけない、と周囲にも告げている。とにかく、医療従事者や医療機関に迷惑をかけたくないのだ。どのような処置でも回復でも結果でも、あるようにしかならない。それ以上を望むのは、どこか不老不死信者のようで、私のスタイルに合わないのだ。だから、とにかく優等生患者なのである。
といって、実はこの方、病院にお世話になったことがほとんどない。風邪やらちょっとした怪我ならあっても、病気らしい病気をしたこともなく、この年齢になってしまった。それでも、優等生患者であるという意志は固く、今回はじめてこのような事態に陥っても、それはそれは優等生であったと自負している。
結果は尿管結石。約6ミリの結石が尿管に詰まっているというのだ。この病気について多くのことは知らなかったが、かつて叔父が罹って七転八倒し、最後はゴルフ場のトイレの朝顔で「からん」と音がした、と笑っていたのを思い出したこと、もうひとつは、やっと年齢相応にじじむさい名前の病気にかかったか、というおかしな達成感を感じたことを、痛み止めで霞む意識の中で確認にしていた。
ともあれ、とにかくこのサイズの結石であれば、水気を取って排石するしか治療法がない。リミットは大体二十日間。それ以上は再検査である。
「ビール飲んで縄跳びすりゃ出る、って昔は言ったんだけどね」とベテラン看護師さんが点滴の針をはずしながら言う。昭和感満載だ。
ということで、さてどうしたものか考えながらとぼとぼと帰宅した。こういうときこそ、やってはいけないGoogle先生での検索三昧、になってしまう。
曰く、じじむさいとは言いながら、実は男性ならば三十代から罹る病気だそうで、少し早とちりをしたようだ。さらに、「女性の出産、男性の結石」、「男の陣痛」(こんな言い回しも時代錯誤ではあるが)、そしてなんと「痛みの王様」と呼ばれるらしく、3位心筋梗塞、2位痛風を抑えて、見事結石が1位であった。これに耐えたら痛み的にはもはや最強である。
さらに、ビールで縄跳び説は、ネット上にもかなり散見され、あながちベテラン看護師の昭和節でもなかったことも判明。さらにさらに珍説も発見。「ビッグサンダーマウンテンに乗ると結石が出る」というのである。後部座席のほうがよく出るなど、真面目に研究もされているようであるが、遠心力ということであろうか。日常で同じ程度の遠心力を下腹にかけることはなかなか難しいし、そもそもこの手のアトラクションに乗れない私であるから、痛みを堪えたほうがマシである。
尿管結石は、排石まで味変する。病院に駆け込んだ尿管での詰まり、これが激痛。結石が膀胱に落ちたあとは、吐き気をともなう疼痛が続く。そして、排石される直前の左下腹の痛み、である。
原因についてはあまり興味が湧かない。多くは食生活に起因しているが、お酒もやめて久しいし、結石になりやすい食べ物のほとんどを私は口にしないからである(強いて言うならばコーヒーとナッツくらいだ)。なんだ、体に悪いもののほうが結石になりにくいんじゃないか!
そうやって、飲み続けられない強い痛み止めを我慢する合間などににわか結石博士になったり、思いつきでビールを飲んでジャンプしてみたり、あきらめてみたりすること二週間、その日はあっけなくやってきた。自覚症状もないほど時は来た。朝顔でないから「からん」という音も出ない。あ、と思ったときにはもう排石されていた。
不衛生である、という意見はもっともである。しかし、こうしたことになると、どこまでも検証してみないと気がすまない性質である。慌ててビニール手袋を使って拾い上げ、消毒すること15分。なんと、かわいらしいハート型である。半日乾燥させてマクロ撮影。採寸。6ミリどころか8ミリ超である(ちなみに10ミリ以上は自然排石は難しく、手術が必要だそうだ)。その後、レジンキューブにていねいに閉じ込めると、恐竜の歯みたいで格好いい。そうだ、伯父の父という人は、開腹手術をした結果石ころのような結石が6個も出てきて、それを書斎の引き出しにしまっていたと聞く。それに比べればまだかわいいものだ。
こうして、私の“Rollin' Stone”は無事パパから転げだしたというわけだが、いやはや、この年齢になるといつ突然何が起きてもいっこうおかしくないのだから、普段のことは何かと準備怠らぬことだ、という、体からの最初の警告と受け止めておきたい。(了)