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今回はこちらの書籍を読んだ。
さっそく思考をまとめていく。

平静は、勇気の静止的なあり様である。勇敢な行いが勇気の動態的表現であるのに対し、平静を保つことはその静態的表現である。

武士道/新渡戸稲造

→平静は勇気の別の現れ方であると知る。

孔子は言う――「君主はまず徳をみがく、そうすれば人びとが集まってくる。人びととともに領土が得られる。領土は富をもたらす。富は、正しく使うことによって君主に利益をもたらす。徳が根本であり、富はその所産である」と。また言う――「君主が仁を好んで、人びとが正義を好まないことはこれまでなかった」と。

武士道/新渡戸稲造

→徳を積むことが根幹に必要。

孟子も、孔子の言葉を祖述して言う、「仁がなくても一国に支配を及ぼした者はいる。しかし、この徳なくして天下を手に入れた者を、私はかつて聞かない」と。また、「人民の心服を得ずしては誰も人民の君主になりえない」とも言う。

武士道/新渡戸稲造

→心を掴むこと。力だけではなしえない。

偉大な徳川家康が子孫にのこした遺訓には、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。……堪忍は無事長久の基。……己を責めて人を責むるな」という言葉がある。

武士道/新渡戸稲造

→深い。急がず、自分に向き合うことが大切。

たとえば小河立所〔伊藤仁斎門下の古学者〕は、「人が悪口を言うのに逆らわず、自分が信頼されないことを反省せよ」と言い、また熊沢蕃山〔岡山藩に仕えた陽明学者〕は、「人が咎めても咎めまい。人が怒っても怒るまい。怒りと欲とを棄ててこそ、常に心は楽しむのだ」と言った。

武士道/新渡戸稲造

→怒りと欲は捨てる。そこからが楽しい。

考えてもみよ。フランスの経済学者シェイソン氏が計算したところでは、一世紀に三世代あるとして、「私たち一人ひとりは、その血管中に西暦一千年に生きてきた少なくとも二千万人の血液をもっている」。「何世紀もの重みに腰も曲がって」土を耕している農夫さえ、血管中に数世代もの血液を持っており、それゆえ彼は「牛と」兄弟であるのと同じように、私たちとも兄弟なのである。

武士道/新渡戸稲造

→今の自分は過去の一部。そう思うことで、今の行動の小ささに気づく。

「命を吹き込むのは精神である。精神抜きでは最良の道具もほとんど役に立たない」というありふれた言葉をくり返すまでもない。もっとも進歩した銃砲も、ひとりでに発射するわけではないし、もっとも近代的な教育制度も、卑怯者を英雄にはできない。

武士道/新渡戸稲造

→精神。ここからすべては始まる。手法や道具だけではいけない。

もっとも進歩的な思想を持った日本人でも、その皮膚を剝げば、一人の武士が下から現れる。名誉、勇気、あらゆる武徳の偉大な遺産は、クラム教授が実に適切に表現したように、「われわれが預かっている財産にすぎず、死者ならびに将来の子孫から奪ってはならない領地」である。そして、現在のわれわれの使命は、この遺産を守って古い精神を損なわないことであり、未来における使命は、人生のすべての行動と諸関係に応用していくことである。

武士道/新渡戸稲造

→武士道は自分に宿っている。これを応用し、行動していくこと。

以上だ。
非常に深い一冊。武士道を多角的に学部ことができる。例にならって、少し古い本なので、すらすらとは読めないが、その分、非常に深い学びになった。

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