感情に向き合う勇気の力と素晴らしさ by TED Talk
慶應義塾体育会ソフトテニス部の部員日記をご覧いただき、ありがとうございます。
今回の部員日記は、商学部2年、岡田諒悟が担当させていただきます。
さて、明日2日にはいよいよ山口にて、3年ぶりに開催される、インカレが始まります。僕にとっては人生初めての全国の舞台を前に、緊張と期待が胸の鼓動を高めています。そこで、今のうちに、試合中の「感情」に対応できるように、思考をめぐらせ、この場を借りてその足跡を残しておこうと思います。
⒈ 今回のテーマ
まずはじめに、今回のテーマについて書きます。
今回のテーマは感情との向き合い方についてです。
私が思うに、感情とは、人間に(人間だけに、と限定する記述は避けます)与えられた、物事に対する無限のバラエティを持つ本能的反応であり、財産であり、特権です。しかしその特権は、私には時に、「こんなものなければいいのに」「人に心なんてなければ、悩むことも悲しむことも辛い思いをすることもないのに」と思わせることもあります。そうした考えの中で、今回取り上げるTEDの講演を聞き、心の底から共感し、感動しました。
⒉ 感情とはどういうものか
ここでは、私の考えを述べる前に、辞書やWikipediaの力を借りて、感情が一般的にどのように言語化されているか考察してみようと思います。
以下、引用です。
つまり、私たちの心が、外の世界の何かの現象に対して反応する、何かしらの動き、のことを指すと定義づけされてます。(個人的には、広辞苑の「心的過程」という言葉がしっくりきました。感情の説明に「気持ち」という言葉を使うのは、犬とは何か問われて「わんわん」と説明しているような表現に聞こえるので、あまり好きではないです。)
⒊ 感情は外的世界の現象に対する自分からのサインになる
見出しなのでカッコよさげな言葉で飾ってみましたが、要するに感情は、自分の意志とは関係なく生まれる、自分の外の世界の出来事への思い・感じ方である、と言えます。
ここでひとつ、TEDの話者の経験を例にとってみたいと思います。
話者は、父を亡くし、経済的にも精神的にも困窮した状態で、3人の子供の1人として、母親に育てられるという、過酷な家庭環境を経験します。その中で、話者はネガティヴな感情を表に出すことを忌避し、周囲には平静を装いつつも、過食障害に悩まされることとなります。
このとき、話者の中には、父が亡くなったことや、経済的に家庭環境が厳しいことに対して、いわば「SOS」とも言える、ネガティブな感情が生まれていたと言えます。しかし、(世間体を気にしたからか、)話者はそうした感情を表に出すことを憚り、感情という心の叫びを「なかったかのように」ふるまいます。「抑圧」したのです。
フロイトによれば、人間の精神には「防衛機制」というものがあります。我々が、自己を保てないほどのネガティブな感情、つらい、苦しい、悲しい、と思った時に、自発的に(無意識に)その感情をなかったものとして闇に葬り去ろうとするものです。
しかし、抑圧された感情はより増幅して戻ってきます。つらい感情をなかったものとして排除しようとすればするほど、その感情は強まります。
ではどうすればいいのか。
まず、その感情があることを認めることです。失恋した、受験に失敗した、大切な人を亡くしたことに辛さを感じている自分を認めることが、次へ進む第1歩となる、と言えます。
感情をあることを認めることは、感情に振り回されることとは違います。感情の言うことをそのままに実行する必要はないからです。
そして、その感情とじっくり向き合い、どうしたら「感情」が納得してくれるか、考えれば良いのです。
ここで、この講演で僕が最も印象に残った一節が登場します。
Discomfort is the price of admission to a meaningful life.
この言葉を私なりに(都合よく)理解すると、我々が時に感じるネガティブな感情は、その後我々が意義ある人生を送る上で必要なものであるので、辛いとき、悲しいとき、その感情に向き合い、どうしてそうなっているのか、どうしたら改善できるのか、を俯瞰的に考えることで、ネガティブな感情に支配されて鬱々とした気分で過ごすことを避けられるのです。
⒋ スポーツにおける感情について
さて、感情についての僕なりの考え方を一通り述べたところで、これをスポーツに投影して考えてみようと思います。
スポーツにおける感情には様々なものがあります。「得点を取ったことへの喜び」や、「いいプレーができたことへの嬉しさ」、はたまた、「悪いプレーをしてしまった時の自分への苛立ち」や、「流れが悪い時の苛立ち」もあります。
個人的な話にはなりますが、私は練習・試合中に様々な感情を表に出してしまいがちな悪い癖があります。部内戦で絶対に負けたくない同期や先輩に負けたとき、自分が自分の課題に向き合う中で上手くいかないとき、あと一歩で上手くいきそうなのに、成功するギリギリのラインで足踏みしてしまうとき、etc... 考えればキリがないほど、自分の中に芽生えたマイナスな感情がひとりでに歩き出してしまうことがあります。
スポーツにおける感情の問題は、きっと僕だけの問題ではないでしょう。真剣に勝ちを目指して競技に向き合う人ならば、誰しもどこかしらで、「感情」や、広く言えば「精神(メンタル)」の問題に向き合うことになると思います。先述の僕の考えを用いて、この問題に対する解決プロセスを作ると以下のようになります。
①感情を認める
②感情と向き合う
①感情を認める
まずすべきことは、感情を認めることです。当たり前でとてもシンプルで簡単そうに見えるこのプロセスが、2つの中で最も難しいのではないでしょうか。その理由は、感情を認めることには、「自分」という人格を認め、受け入れることが要求されるからです。簡単な例で言うと、大事な試合の大事なポイントで、平易なチャンスボールをミスってしまい、自分に対する苛立ちを憶えたとします。そこでその苛立ちを認めることはすなわち、苛立ちを憶える自分の弱さを認めることになります。
このプロセスが、感情の支配されないための、第一にして最大のプロセスと言えるのではないでしょうか。
②感情と向き合う
次にすべきことは、感情と向き合うことです。①で認めた感情を、理性的思考の場に持ち込み、感情が暴走しない行動を探します。緊張しているのであれば緊張を楽しもうとしたり、イライラしているのであれば「勝ちに最善な行動は何か」を理性的に考えようとしたりすることがこれにあたります。
この2つが、今回僕が「感情」への対処プロセスとして導出したものです。
「言うが易く行うが難し」とはまさにこのことではないでしょうか。本番、感情に負けそうな場面でただ、大きな試合を前にして、一つの課題に対する解決策を仮説として立て、その下で本番に臨めるということだけでも、今回の部員日記では大きな成果物を得られたように思います。
⒌ おわりに(インカレに向けて)
最後に少しだけ、一見本文とは関係ないような話をさせてください。
過去の2回の部員日記(後述)でも触れてきたように、僕は「全力を出してなお結果が失敗に終わった」という経験をしてきました。それは前回の入れ替え戦であったり、秋の研修リーグであったり、さらに言えば受験に関してもそうです。全力を出して否定されることは本当につらいことです。しかし、それでもなお、僕は今回のインカレに向けて、今の自分の持てる全力を振り絞って練習してきました。その理由は主に2つあります。
1つは、その先で失敗したとしても、チームの仲間が一緒にその結果を受け止め、背中を守ってくれていると信じているからです。
そして、もう1つは、全力を出して最高の結果を出せた時の「まだ見ぬ景色」の旨さを味わいたいからです。今回のインカレで言えば、その目標は「団体:ベスト4 個人:ベスト64」です。そこに向かう上で、今自分の中に蠢く、失敗に対する不安も本番を前にした恐怖も緊張も全て認め、向き合い、乗り越えた先にある未知の景色を目指して。
やってやろう。
これが今回のインカレに対する、僕なりの決意表明です。
さて、長きにわたる拙文を、最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。明後日からのインカレの応援のほど、よろしくお願いいたします。
次回、月曜日の加納くんの部員日記も是非ご覧ください!
<参考>