№8 これまでの順子さん ~虚飾~
僕の妻の順子さんは、「多系統萎縮症(MSA)」という原因不明の難病に罹患しています。
順子さんの発症が、僕がこの闘病記を書こうと思った発端でした。『凌駕プレス』という個人マガジンサイトを立ち上げて、記事にしました。しかし、仕事や介護などに忙殺されて、3年近く更新もせず、よくあるゾンビサイトとして今でも存在はしますが、継続する気力が失われています。
この記事は、この『凌駕プレス』の記載した記事をベースに、拙い文章をリライトして、再構成して、Noteでお届けしています。
「多系統萎縮症(MSA)」という病を知ってほしい。順子さんというひとりの女性が、この難病に罹患し、どのように生きたのかを、夫である僕の視線から伝えたい。そして、もしできるのなら、順子さんと僕が、闘病のロールモデルの、ささやかなひとつとして、この病気や、難病といわれる病魔と戦う患者さんや、その家族に、その生き様を伝えたい。
そんな、おもいからこの文章を書き始めました。
僕たちの世代は、太宰からはじまって、安吾、作之助、檀一雄と、いわゆる戦後デカガンスの洗礼を受けています。今風にかっこよく云えば、クリティカルシンキングというやつで、批判的なものの見方が、当たり前のというか、どこか斜に構えた語り口が、好物なのかもしれません。
「僕」という一人称をもちいて書いているのも、たぶん、そんな心情が影響しています。なにしろ、自分からもっとも離れた、自分を表す人称名詞で、僕は「僕」と自己呼称したことは、たぶん小学生のころから一度もありません。
たいがいは、「わたし」で、私生活では「お父さん」で、昔、京都にいたころには、東男であることの負い目からか、「わし」でしたし、内省するときは、たぶん「おれ」でしょう。「おれ」から見れば一番遠い「おれ」が「僕」という人称名詞で、「僕」という語りは、自分を俯瞰して、他人化するのにいちばん都合が良かったのかもしれません。
「おれ」は「僕」に対して、嘘ではないにしても。ちょっとは見栄え良く、正直にいえば、「よい人」を演じさせています。「赤裸々に」この闘病記を書くつもりでいながらも、実はどこか自分自身や出来事をオブラードで包みこんで語っています。今までのNote記事を読み返すと、カッコつけ過ぎだと、自分自身も腹立ちさも感じますが、疼くリライト願望は先にのばし、このまま書き続けることにいたします。
夫婦にはいろいろな有様があって、それぞれの夫婦に、いろいろな歴史があります。それは、十組十色といえるでしょう。順子さんと僕の家族は、ステップファミリーです。出会ったころ、順子さんは三十歳、僕は四十歳を過ぎていました。順子さんには二人の子どもがおり、僕にもひとりの子どもがいました。気恥ずかしいのですが、互いの家族からも非難され、互いの子どもたちにとっても、大変迷惑な恋愛をして、ふたりは夫婦になりました。
たくさんの子どもがいても、同じベットで寝る、あるいは布団を並べて寝るのがあたりまえで、出張などで僕が不在で、たまにそばにいないと、順子さんから「さみしい」と連絡がきました。そのせいかもしれませんが、ふたりの間に三人の子どもを授かりました。
夫婦ふたりで一緒にお風呂に入るのも当たり前でした。家族で旅行に行けば、個室風呂を貸し切って、家族全員でお風呂にはいります。家族みんなで、露天風呂からたくさんの景色をみてきたことは、僕たち家族の大切な思い出です。
だからと言うわけではありませんが、順子さんも僕も、お互いが年を経て、体がかわっていく姿を、あたりまえに受け入れてきました。そして、変わってゆく互いの体をも、愛おしんできたとおもいます。
今、順子さんの入浴は、火曜日と木曜日に訪問看護の看護師にお願いし、日曜日は僕が介助します。湯船に入るのが大変なので、足湯の桶に足を入れて、タオルを肩と太ももあたりにかけて、シャワー浴でも寒くないようにしての入浴です。
服を脱がせ、髪を洗い、トリートメント液を髪に塗り込み、体を洗います。脇の毛をそり、ときおり足の産毛の処理をして、お尻もシークレットゾーンを洗うのも、すべて僕に任せます。
ときおり、シークレットゾーンの花蕾をつんつんと指で突きます。順子さんは、時間差で「キャー」とさけびます。僕は、「反応が遅い」と膨れ面をしてみせて、順子さんの顔をのぞきます。そこには、順子さんの笑顔があります。夫婦ならではの、お遊びかもしてません。
以前にも、記事にしましたが(№4)、トイレでのパンツの上げ下げが苦手になっています。トイレで用を足すだけでも、他人の何倍もの時間がかかります。さらに。自律神経がうまく機能しないという病気の症状のため、尿道や膀胱の調整ができずに尿もれをおこします。同じ理由で、便秘がひどくて、お通じが大変なのですが、酸化マグネシウム(便秘薬)がたまにホームランを打つこともあって、トイレに間に合わずにうんちが出てしまうことがあります。
だれでも、下の世話をするのは、するほうも、されるほうも、メゲることだとおもいます。大のおとながうんちを漏らせば、「人として、どうなの」と言われかねません。その言い訳が「飲みすぎちゃって」でも、「お腹の調子が悪くて」でも、「子どもじゃないんだから」と責められるのは必定です。
下の世話を受ける方でも、人が人である最低限の自尊心を失ったようで、たまらないとおもいます。
僕は順子さんに、「やれることは、どんなに時間がかかっても自分でやる」と、お願いしています。リハビリでもあるし、できることが減っていくこの病魔と戦う、負けない戦略だと思っています。
それでも、病気が進行している順子さんにとって、トイレはひと仕事です。我が家は、車椅子で生活できる障がい者専用住宅で、トイレにもたくさんの手すりが備えられています。そのたくさんの手すりや、車椅子の肘掛けを使いながら、車椅子から便座に移乗します。健常者には。なんのことのない動作が、順子さんにとっては、有効なホールドを探しながら、難解なコースをボルダリングするようなもので、しかも、同じコースなのに、昨日の簡単なコースが、日を追うごとに難解なコースに変わっていくという悪夢のような毎日なのです。
便座までのボルダリングが終わっても、今度はパンツを下ろすという大事業が待っています。普通なら両足をしっかりと踏み、上半身を足の力で上げるだけなのですが、順子さんにはもう、自分の力で上半身を上げる余力はありません。そこで便器の両サイドにある手すりを使って上半身を持ち上げればいいのですが、腕力も低下していて、あがりません、
どうすれば、パンツをおろせるのか。
順子さんが考え出した方法は、両手を手すりに添えて、頭を下げる。それも極力、便座よりも下に頭をもっていく。すると、いくらかが腰が浮きます。順子さん、ナイスアイデア、なのですが、この方法ではリスクがいっぱい。パンツを下ろすためには、片手をはなさなければいけません。頭を低くしているので、バランスを崩せば、頭から前に突っ込んでいくことになります。
そこで、順子さんは「マグマ大使〜」と、大昔の手塚治虫原作のヒーローを呼ぶことになります。もちろん、マグマ大使とは僕で、こんなお馬鹿なルーティンを始めたのも僕です。
順子さんのパンツを下げる。小用は順子さんがセルフでやって、下着におむつを装着して、また、「マグマ大使〜」で、僕の登場です。そして、パンツをあげて、ついでに車椅子へ移乗させます、
そうした一連の作業を、順子さんは僕に委ねます。パンツを脱げば、下半身のY字の草原を目にするわけで、下っ腹も上尻も目にしながら、パンツの上げ下げをします。順子さんは「ありがとう」と、ろれつが回らない喋り方で感謝を伝え、僕は、ただ「ふん」と答える。不思議なのですが、このとき下半身を出している順子さんの姿や、僕がパンツを上げ下げしている行為に、なんの羞恥も、いやなおもいも、なにも感じないのです。
順子さんの日常も、僕の介助も、大変さをましてきました。
ごく最近のことです、僕は順子さんに大声をあげて怒りました。難病に罹患し、身体も自由に動かせない順子さんへ、です。
ユングの心理タイプ論を持ち出せば、たぶん僕は外向型直感型で、思考型というより感情型です。年を経るに従い、内省型、思考型の傾向も増えてきましたが、基本は変わりません。ときおり、感情の爆発が起こります。
こどものころ、今から宿題を始めようとしているときに、母親から「さっさと宿題しなさい」といわれて、怒りに近いフラストレーションを感じたことを覚えていますか。「今、やるつもりだったのに」、出てこない言葉が、こころの中で空回りして、母親をただ睨みつけていたことはありませんでしたか。
僕は、こういったシチュエーションでの感情が苦手で、いまでも出会えば、持て余します。誰にでもある心情なのでしょうが、「自分の決めて、やろうとしていることを、他人から指摘さる」ことが、頑固なほどに嫌いで、いわゆる琴線に触れたように、一瞬にして顔色がかわる、とても厄介なタイプなのです。
今までの人生は、「やりたいこと」ではなくて、「やらなければならないこと」だらけでした。父親であったり、夫であったり、エンジニアであったり、会社員であったり、管理職であったり、ときにはPTAや子ども会活動に力を注いだこともありました。「やりたくてやった」こともたくさんありましたが、「やらなければならないこと」にも溢れていました。僕は、その度にストレスをためて生きてきました。
そして今、セミリタイアして、順子さんの介護と家事をしながら、やっと「やりたいこと」だけをやっているつもりでした。学びたいことを学び、読書と映画鑑賞に溺れたいとも。
「奥さんをよく面倒見ていますね」「いいご主人ですね」
ご近所の方は、僕のことをそんな風にいいます。
順子さんと僕のある日の会話です。
「車椅子のシートを汚したから洗濯して」「分かった」
「洗濯した」「する」
「洗濯した」「したよ」
「乾いたらシートつけて」「うん」
「シートつけて」「あとでする」
「ソートつけて、明日通所リハだから」「知ってる」
「シートつけて」「あとでする」
「シートまだだけど」「わかってる」
「シートつけて」
「わかってる。何度もいうな。俺は、俺の都合ではやれないのか。俺は、いつでも、お前の都合で動いている。トイレも風呂も、食事も・・・・、いつまでに何をしなければいけないかは、ちゃんとわかってる。俺はおまえの介護人じゃない!」
おもってもいなかった言葉が、感情をのせて溢れ出した。僕は外面のよい仮面をつけて、虚飾に生きているのだろうか。それとも、よく耳にする介護ストレスが溜まっているのだろうか。
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