永禄6年(1563)8月4日は毛利元就の嫡男隆元が傘下の国人に饗応された直後に急死した日。死因は病死とも毒殺ともいわれ隆元の嫡男幸鶴丸(輝元)が家督を継いだ。しかし若年のため元就が主導権を握り後見した。元就の死後は隆元の弟である吉川元春と小早川隆景が毛利両川として輝元を支えた。
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