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人が身を立てるためにすべきこととは。武田信玄の逸話
こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。
先日11月3日は武田信玄の誕生日。しかも大永元年(1521年)11月3日生まれということで生誕500年でした。
そんなこともあってか武田氏研究で知られる平山優先生の本や歴史雑誌で「武田三代」について書かれた記事を最近私も目にしました。さらに信玄の父親信虎の晩年を描いた映画「信虎」も公開されるとか。
そんな記念の年に甲府へ行きたかったですがコロナ禍ですし、いずれゆっくり行きたいものです。
そんなわけで、今回はここに一番登場してもらっているのではないかという武田信玄の言葉を取り上げてみます。
ある夜のこと、信玄公は御咄衆に向かって仰せられた。
「人間は大身、小身によらず、その身を全うする方法がひとつある。そのほうたち、それを申してみよ」
一同がしばらくしてから
「どう思案しましても、わかりかねます」
と申し上げると、信玄公は、
「人は、ただ自分がしたいと思うことをせず、いやだと思うことを成し遂げていくならば、それぞれの身分に応じて、その身を全うすることができるのである」
と仰せられた。
側近の御咄衆を相手にした雑談の中でのやりとりです。
要は「したいことをするな、いやなことをせよ」ということです。
過去あったことを考えたとき、その時の自分にとって本当に必要なことは、この「いやなこと」の中にあるから厄介です。「したいこと」の多くは、その時の自分が逃避したいからやっていることだったりします。
『人は只、我したき事をせずして、いやと思ふことを仕るならば、分々躰々全身をもつべし』
信玄公が仰ることは簡単ではないです。だからこそ、簡単ではないことができる人が身を立てるのですね。
以前、別の信玄公のことばを紹介しました。
人は只遠慮の二字肝要なり
遠くを慮ること、つまり将来のことをよく考えることが、人にとって肝要、大切であるという意味でした。
人に必要なのは遠慮をして、いやと思うことをすることですね。