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インプットとアウトプットの「間」が足りていない。

最近「noteの記事なに書こうかなー」と考える機会が出てきた。

これはインプットの在庫切れなのか、とも考えたがそれとは何だか違う気がする。


実際、日常の中でインプットする機会は多い。
社会人として働き始めて約1か月を迎えようとし、毎日毎日が刺激的で覚えることばかり。

新しい土地に住み、新しい発見も多い。

常に新しい気づきや学びはないか、アンテナを張ってはいるつもりだ。
だけど「なに書こうかな」と考える機会が以前より増えてしまった。

これはアウトプットの飽和なのかインプットが間に合っていないのか。

アウトプットが飽和しているんだとしたら、嬉しい悲鳴だ。


大学の頃から書き溜めたメモは何冊もあった。

しかしそれと同時に気づけば毎日書いているnoteも400日を超えている。

社会人になってnoteを更新できるかどうか多少の不安はあったが、自分と向き合う時間を設けたいという思いでこの時間は削らずにここまできている。

が、しかし。

最近書くネタがなくなってきている。

「あー、これ前書いたな。」
「これはまだちょっと自分の中で言語化出来ていないな」
「んー、なんか違うな」

noteの書き方などを聞かれた時によく、「書きたいものを書いています」と言っている。

それ自体に嘘偽りはないのだけど、やっぱり多少のクオリティは気にする。

そう考えた上である一つの答えにたどり着いた。

最近足りていなかったのは、

インプットでもアウトプットでもない。その間だ。


「その間」をわかりやすく言語化出来るかというと、うまくは出来ないむず痒さがある。それでもなんとか言語化してみると、

大体私の記事って、印象に残った言葉でも、本でも、過去の経験でも、
その紹介したい「モノ」を見つけてることから始まる。

そこから自分の過去/未来にどう関わってきたか/関わっていくのかイメージする。そして最後が言語化していることが多い。


むしろこの3段階を踏めていない対象は基本的には記事にしていない。
(知識や専門用語を学ぶ系は例外)

紹介したい「モノ」をまずは見つける→インプット
自分の過去/未来への関わり→間の部分
言語化→アウトプット

この3段階構成。少しはイメージいただけるだろうか。

そしてこれも最近気づいたことのだが、一番大事な部分を占めていたのが「間の部分」だったのだ。

インプットは常日頃からしている。
言語化というアウトプットは次第に自分でも質・スピードともに上がっている自信はある。

それでもなかなか書くネタがパッと浮かばない。

実はアウトプットの方向性を決めたり、自分「らしさ」を見つけ出したりするのって、「間の部分」だったのだ。

そしてそのために必要なのが自分自身と向き合う時間

確かに最近欠けていた

大事なのはわかっているし、忘れずにやろうと思っているけど、

日中はインプットと自らの経験に費やして、帰ってきたらnoteを投稿するというアウトプット本やネット記事からのインプットに時間を費やして。

24時ちょっと前には布団に入って、朝起きてまた会社に行く。

完璧に「間の部分」の時間が抜けている。


大学時代は日中や夜遅くに意図的に自分と向き合う時間をつくれていた。

「どうして今この感情なのか」
「今自分がどういった葛藤があるのか」

などなど。

そしてこの時間が、自分自身一番落ち着ける時間でもあった。

恐らく今心の状態として安定している、むしろワクワクしているからわざわざ向き合う必要なく1日1日を過ごせているのだと思う。

大学生の頃って結構悩んでいた時期でもあったから。

しかし、状態がいいときこそ、自分と向き合うことを忘れてはいけない


この記事は自分への戒めである。

自分と向き合うことに妥協しないように





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塩浦良太
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