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〝知りたい〟と思う気持ち

一度でも、「この人の言葉選び好きだなぁ」と思うと、その人が紡ぐ言葉をずっと追いたくなっていく。だって言葉はその人そのものを表すから。

そういった人は何人もいる。
そういった人が増えれば増えるほど、自分の人生も豊かになっていくんじゃないか、と思う。

そう思わせてくれる人の1人が俳優の杉咲花さんだ。


存在自体は当然知っていて、出演するドラマも何作も見ていた中で「この方の言葉選び好きだな」と感じたのが、ドラマ「アンメット」の時のインタビュー。その時の感覚を、実際に過去のnoteにまとめている。

そういったわけで杉咲さんのインタビューを追うようになったんだけど、また素敵なものに出会った。それがこちら。

ぜひ原文をまま読んでいただきたい。それくらい好きな文章、表現で溢れている。

なかでもいくつか印象的なフレーズを抜き出すと、

「人が痛みを感じる温度感や深度は、他の傷と比べたり、大きさで測ることのできないものだと思います。他者がいくら理解できなかったとしても、本人が痛みを感じたのだとしたら、それは誰がなんと言おうとひとつの痛みとして存在しているはず。」

「近年は、“わかった気になる”危険性のほうを考えるようになり、シンパシー(自分の立場からの共感)ではなくエンパシー(相手の立場を想像)を持っていたい気持ちが強まってきました」

自分にとっても「大事にしたいよなぁ」と感じる部分を、うまく言語化してくれた感覚だ。そんな中で最も印象的だったのが次のフレーズ。

「それでも“知りたい”と思う気持ちは、やっぱり大切な気がしていて。自分にないものを想像して他者と関わろうとする行為は、優しくいられるための一歩だと思うんです」

我々は知らないものに対して、蓋をしがちで、見て見ぬ振りをしがちで。それってやっぱり「難しい」から。でも難しいからといって蓋をしていては一生交わらない。

自分だけの人生だったらわからないものに対して距離をおいても問題はないかもしれない。でも自分が生きている社会という大きな枠組みで考えると、わからない・知らないだらけだ。そういった人たちと社会を構成している。チームプレーなのだ。

それであれば「何もない」関係よりも、ギスギスした関係よりも互いを知り合う行為をする方が、優しい社会になっていくんじゃないかと。


そのために今から何が出来るのか。

単純に「リスペクトを持った対話」なのだろう、と。
じゃあリスペクトを持った対話とは何なのか。
それは「相手を知りたい」と思ったうえでの会話なんじゃないか、と思う。


知らないことがある。
だから知りたいと思う。

純粋な感情、まずはここから大切にしたい。


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塩浦良太
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