自分とnote【エピソード0】
エピソード0
ちょっとカッコよく書いてみた。
要は自分にとってのnoteのはじまりのはじまり。
書き始めたきっかけはなんなのか、という話。
noteが8周年を迎えたそうだ。
note2歳になったばかりの私。
noteの歴史は思っていたよりも先を走っていた。
上記添付した記事のなかに「あなたの好きなnoteは何ですか?」という問いかけがあった。今回はnote8周年を祝して私のnoteのはじまり、エピソード0について書いていきたい。
実は継続できていない時期があった
今となっては「毎日投稿750日目!」などといって当たり前かのように継続している印象を与えているが、実は最初の最初は継続できていなかった。
2021年の3月から毎日投稿をはじめ、現在750日以上経過しているのだが、本当の本当に最初に記事を投稿したのは2019年11月だった。
当時大学で社会学を学んでいたということもあっての記事のネタチョイスだろうが、自己紹介もせずなかなかに渋い(笑)
でも2記事くらいかいて投稿がストップした。継続なんてできていなかった。
「げんてん」ともいえる記事との出会い
そんな、長続きしていなかった私のnoteへの熱量に対し、ある転機が訪れる。2020年3月のこと。それが自分にとって「原典」でもあり「原点」ともいえるnote記事との出会いだ。
この頃の自分は「自分」がなかった。
将来の夢がない、先の展望が見えない、レールに乗った人生、自分の感情に蓋をした人生、誰かの期待に応える人生。
やりたいことがわからない、好きなことがわからない。
自分自身に対して思考停止していた人生。
就活をしていたが八方ふさがりだった。
だけどそんな自分に対し、少し変わりたいと思っている自分もいた。
そんな中、偶然目にしたのが上の記事だった。記事にはこう書かれている。
わたしの子どもころを思い出すと、「こうしたい」と自分の希望を言ってもいいという環境ではなかった。自分のしたいようにすると「自分勝手なことして」と咎めたれた。好きなものもあったように思うけど、「好き」なだけでは褒められなかった。自分よりできる人がいたらそちらが褒められるのは当たり前だと思っていた。
大きくいやな経験がなくても、そういう小さなことの積み重ねが自分の欲に蓋をしてしまったんだろう。「こうしたい」「これが好きだ」に蓋をして出さずにいると、自分が何が好きなのかわからなくなったり、何がしたいのかも誰かの反応からしか決められなくなったりする。
「やりたいことがない」「何が好きかわからない」の背景にはそういう「欲に蓋をしてしまった経験」があるのだろうなとわかってきた。
自分のことを言われているようでハッとした。
首がもげるくらい頷いている自分がいた。
文章はこうまとめてあった。
今からやりたいことをみつけることもできる。ただ、それには長年積み重ねた蓋を剥がしていかないといけない。難易度は高いけど、できる方法がある。
それは、「書くこと」だと思っている。
「これだ。」
そう思った。
私は「書く」という行為に望みを託した。
まだ知らない自分という人間を知るために、「書く」ことを選んだ。そして
その場所として選んだのがnoteだった。
あれから2年
気づけばあれから2年経とうとしている。
毎日noteを750日以上続ける。それも1日1000字以上の記事を。
noteはとんでもない化け物を生み出してしまったようだ(笑)
あの頃からだいぶ自分のことが分かってきた。
でも、わかってきたからこそより知りたいことも出てきた。
それに自分がnoteを書くことで、同じように過去自分に蓋をしてきた経験がある人の選択肢に「書く」という行為が生まれればいいな、なんて思ってる。
これからもずっと、noteという居場所で年を重ねていきたい。