「見栄とプライドは紙一重」
最近聞いた、印象に残っている言葉。
「見栄とプライドは紙一重」
皆さんはこの「見栄」と「プライド」という2つの言葉にどういった印象を持っているだろうか。
正直どちらの言葉も、あまりいいようにとられない場合がある。
「見栄を張るなよ」
「あいつはプライドが高いからなぁ」
どこか”頑固な”、”強がり”な印象を受けてしまいがちである。
しかしこの2つは似ているようで全く違うという。まさに「紙一重」。
・・・
一体どう違うのか。
参考になるサイトを見つけた。
まずこのサイトでは、2つの単語を「本質的には同じもの」としている。
自分の本当の姿(能力や経済力)を他人に実力以上に見せようとすることが全ての根源だと思うのです。「もっとよく見られたい」その心が、事業の失敗を招くのです。何となく経済力を誇示する時は見栄を張る、能力を誇示する人はプライドが高いと区別してしまいそうですが、そうではありません。実はどちらも見栄っ張りなだけです。
それでは「プライド」とは何なのか。
それは「見栄」よりもっと崇高なものだという。
見栄→他人からの評価を気にするもの。
プライド→自分の気持ちの中での自分の評価。
物事を他人がどう言おうが、自分の良心、信念に従い判断し行動すること、それがプライドを持つことだ、と上記サイトでは書かれている。
従って、我々が日常的に耳にする「プライドが高い」というのも実は「見栄」を「プライド」と勘違いしているだけなのかもしれない。そのことについて言及しているのがブッダだ。
恩師は言った。
『ミエは張るものじゃない。切るものだ。”見栄を張る”という言葉と、”見得を切る”という言葉がある。
前者は、自分の身の丈以上のことをしようとして、背伸びしている状態。こういう人は往々にして、よく失敗し、後悔する。こういう人は、弱いのを包み隠すのがそもそものその態度の理由だから、いざという場面では実はすぐに音を上げて、役に立たない。
後者は、歌舞伎で使われる言葉だ。いざという場面で、格好をつける。自分がどんな状況にさらされていようが、やるべき場面で、やるべきことをしっかりとやる。これが、その言葉の意味だ。
お前らは、見栄っ張りだからな。だが、これからはミエの在り方を理解したはずだ。ミエは張るものじゃない。切るものだ。』
見栄を持っていると、そうでない現実に直面するたび、怒りが自分を支配する。これを、『プライド(誇り、矜持)』だと誤解してしまっているのだという。
ブッダは言う。
「本当にプライドが高い、誇り高い人間とは、自分のことを一番最後に考えることが出来る、矜持のある、高潔な人間のことを言うのではないだろうか。」
・・・
この「見栄とプライドは紙一重」という言葉を聞いたのは、中居正広さんがMCを務める『金スマ』という番組からだ。
中居さんは、
見栄とプライドは紙一重だから。
プライドっていろんなものを長年犠牲にしてきた人のものでようやくプライドができる。
私たちが言う「プライドが高い」は実は「見栄っ張り」なのかもしれない。
本当の「プライド」というのは、多くの苦節、挑戦、経験を通して築かれるような尊いものだと感じた。
見栄っ張りで終わっていないか、自信を持ってプライドと言えるくらいの状態になれているか。
妥協せず、言い訳せず、自問自答と続けていきたい。
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