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「正論」と「いい言葉」の違い

今に始まったことじゃないけれど、❝言葉❞って難しい。

世の中には「正論」と呼ばれるものがある。
言ってることが至極全うでぐうの音もでないこと。
基本的に正論はその文字の通り正しい。だけど間違っていることもある。

「こうあるべき」「こうしたほうがいい」

そんなのわかっている。それであるに越したことない。
だけど状況や心情、環境などいろいろな要因が絡み合って、正論だけじゃ通用しないことが世の中にはあって。そんなの言い訳だ、となるかもしれないが事実としてそれが存在することからも目を背けてはいけない。

正論を言ってもそれが相手に伝わらないことがある。
伝えたとしても、伝わらなかったら意味がないとするならきっとその倍において正論は間違いで。

だけどだからといって伝えるのを諦めて安易な言葉選びをすることはよろしくない。時にはちゃんと言わなきゃいけないことだってある。

❝その人に伝わる言葉選び❞って日々探求で。
決まりきった答えがないからこそ、日常的なコミュニケーションや様子の中から探っていく必要がある。


Twitterとかnoteのような発信ツールって、結構正論が飛び交っていると思う。何を隠そう、私だってきっと読む人からすればその1人なんじゃないだろうか。

正論というか、綺麗ごとというか。

それをいう人たちを腐すようなことをするのは個人的にナンセンスだと思っていて、それじゃあ自由に発信できる意味がない。誰かを傷つけたり、不利益を及ぼしていたりするなら話は別だけど。

ただその一方で、「発信して満足すること」もナンセンス。
言っただけじゃ何も変わらないから。

それが綺麗な言葉だとしても、逆に弱音を吐いたような言葉だとしても、その結果❝理想としている行動に結びつく❞のであれば、その言葉選びが正解だと思っている。

それは周囲に対してもそうだし、何よりもまずは自分に対して。

私の好きな言葉がある。

「いい言葉というのは、それを聞いて『動こう』と思える言葉」

「いいこと言ってるなぁ」で感心されて終わる言葉が必ずしもいい言葉じゃない。「自分負けてられないな」「参考にしてやってみよ」「自分はそうは思わないな、それを証明してやろう」、そんな風に見た、聞いた、読んだ相手が次の行動につながる言葉がいい言葉だと。


正論といい言葉の違いは自分なりに意識していきたいし、相手によって伝わる言葉選びは日々研鑽していきたいところ。

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塩浦良太
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