言い方、伝え方って大事。
何か同じことを言うにしても、言い方、伝え方って大事だと思う。
高次脳機能障害。
それは先天的なものではなく、後天的なもの。
脳卒中等、ケガや病気をを発症することで生じる、記憶障害や注意障害や遂行機能障害、失語症等のことを言う。
私は現在就労移行支援にて支援員をしているのだが、通所されているご利用者様の中には高次脳機能障害の方もいる。
以前の記事でも言及した部分はあるが、高次脳機能障害というのは冒頭でも書いたように「後天的なもの」だ。そして過去の記憶がなくなるわけではない。それはつまり、「出来ていた過去」が頭に残っているというわけだ。
「あの頃はすぐに記憶できたのに」
「すらすら人と会話できていたのに」
「タイピングだって簡単だったのに」
「「俺/私、バカになったのかなぁ」」
実際に通所されているご利用者様の中に、そのような発言をされる方もいる。
むやみやたらに「そんなことないですよ。」ということも出来ない。実際に自分がそれを体験したことがあるわけじゃないし、その人の大変さや葛藤はその人にしかわからない部分がある。「相手のことがわかっている」という前提に立つのは危険だ。もちろんわかろうとする努力はするが。
かといって上記の発言をスルーするのはもってのほかだ。絶対に一人にさせてはいけない、そう思っている。
一緒になって「障害受容」をしていく必要がある。
ここで一度、「障害受容」についてご説明したい。
ある論文での定義によると、
「障害を直視し、障害に立ち向かい、障害とともに生きることも自己の生き方の一つであると受け止め、生活していくことである」
(清水里江子,2012)「障害受容について」
と書かれている。きっと多くの人が障害を受け止めるというのは苦しい部分があると思う。しかし現状を受け入れ、障害と折り合いをつけて生活し、共存していくことで、その後の生活に活気が出るとされている。
その過程には、寄り添ってくれる人(家族・友人等)の存在が必要不可欠であるといえ、支援員もその一翼を担うと考える。
話を元に戻す。
「障害受容」の観点を踏まえても、「俺/私、バカになったのかなぁ」と向き合うのは避けては通れない道なんだと思う。そしてそこを一緒に乗り越えていくのが支援員の役割だとも思う。
ここで個人的に意識したいことがある。それが、
「真剣」に考えても、「深刻」にはならない。
ということだ。
確かに目を背けることは出来ず、真正面から向き合う必要がある。そのためには現状を真剣に考えていかなきゃいけない。
だからといって深刻にさせてはいけない。言ってしまえば先を見ていくしかない。戻ることは出来ない。深刻になってもすり減るのは気持ちだけだ。でも本人が気持ちを切り替えるのは簡単な話ではない。そのために周りが深刻にさせないことが必要な気がする。
じゃあそのためにどうするの?って部分だと思う。まだまだ何が正しいかはわからない。それを探している段階だ。
でも今この瞬間から出来ることだってある。その一つが「言葉選び」だったりする。
「私バカになったのかなぁ」に対し、「そんなことないですよ。」で終わらせない。「確かに○○の部分はちょっと△△ですかもね」と事実を伝えることも必要だ。でもそこでも終わらせない。
「でもこれってまだまだ”のびしろ”があるってことですよ!」だったり「だけど最初の頃より○○できるようになってますよ!」だったり。他のご利用者様にその方の最初の頃からの変化を聞いてみたり。
ネガティブな部分の上には必ずポジティブを添える。しかもそれはお世辞なんかじゃなく、ちゃんとした事実で。
言い方って大事だと思う。
そして事実は同じでも視点を変えるだけで伝え方って多岐にわたると思う。
すべてを理解することは出来ないかもしれない私たちでも、そこの言葉選びを妥協しないことは今この瞬間からすることが出来る。
これはずっと大事にしたいことだ。