「運命の出会いだった。」
貴方は「運命」という言葉を信じるだろうか。
運命ってすごい抽象的な言葉だ。だから毛嫌いする人もいるかもしれない。
でも私は信じている。
というか運命だったんだと思うようにしている。
自分なりに言語化して落とし込んでいる。
私は今、福祉業界で障害福祉領域に携わり、その傍らで新卒採用にも関わっている。どうしてそもそも今の会社に入ったのか。
入社して3か月くらいの時に文章を書いた。
その内容に加筆・修正をしてお届けしたい。
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周囲の期待に生きていた過去
私は幼少期に両親の離婚を経験し、主に祖父母に育ててもらっていた。ここでは書ききれないくらいの苦労を背負っている祖父母の姿を近くで見ていた。だから常に心のどこかで「祖父母の期待に応えたい、結果を残したい」そういった思いがあった。とにかく目の前のことを全力で頑張る。
勉強も、運動も、学校生活も。
そうしたら周囲の友達が私に期待をしてくれるようになった。班長とかリーダーみたいな役につく機会が多くなった。ただ気づけば自分の現実の力量を周囲の期待が追い越してしまっていた。断れない自分は、何とかその期待についていくのに必死だった。断る自分に価値はないと思っていた。
自分の人生生きているようで、周囲の期待に生きていた感覚だった。
自分と向き合うことを忘れ、誰かの期待に応える毎日。どこかでモヤモヤは抱えながらもそこを打開するだけの熱量はなくて。ただただレールの上を走っている人生だった。自分の身の回りの人が、平気で周りに嘘をついて大切な人たちを傷つけてきた姿をみて「そうはなりたくない」と思っていたはずなのに、自分が自分に対して嘘をついていた。本音を見てみぬフリをしていた。
大学3年生くらいまでそんな風に思っていた。
会社との出会い
大学時代はずっとモヤモヤを抱えたまま独学で公務員試験の勉強をしていた。
でも大学3年生のある日、突如そのモヤモヤを自分で抱えきれなくなった。胸がソワソワした。ギューッと苦しくなる感覚がした。「このままでいいのかな」という思いが頭の中をグルグル回った。
そこで大学の頼りにしていた先輩の1人に相談をした。
これまでの自分の過去、家族との関係、これからへの不安など。それは初めて人に自分の弱い部分だったり、隠してきた過去を話した瞬間でもあった。
その先輩は夜遅い時間に、1時間以上話を聞いてくれた上で一言。
時刻はすっかり0時をまわっていた。
この言葉で心がスーッと軽くなった。世界が明るくなった感覚があった。どこか縛られていた「普通」や「当たり前」という感覚から解放された瞬間だった。
民間就職に目を向けたのはそれからだった。
自分のことを何も知らない
民間就職に切り替えて、すぐに就活が上手くいったかというとそんなことはなかった。なんならものすごく苦戦した。
なぜなら「自分のことを何も知らない」から。
考えてみれば当然だ。だってそれまで自分と向き合うことから逃げてきたのだから。なんなら自分に嘘をついてきたから。
周囲は「コロナ禍で大変だね」と言ってくれていたけど、自分ではわかっていた。単純に自分の力不足だと。
noteとの出会い
自分のことを何も知らない、どうしよう。そう路頭に迷いこんでいたとき、偶然noteという居場所を見つけた。そこにはキラキラ輝くような文章を書く方もいれば、様々な苦悩や葛藤を抱えながら、それでも前を向こうとしている文章を書いている方もいた。まさに「生きた」文で溢れていた。
何の根拠もなしに始めたnoteへの文章の投稿は、気づけば900日を越え、今では大切な生活サイクルの一部になっている。
学生時代の私はnoteでアウトプットを通じ、実現したい3つの軸が見えてきた。
⑴世の中に蔓延るおかしな「普通」を覆したい
⑵誰もがその人「らしく」輝ける社会を実現したい
⑶自分がいいと思ったものを少しでも多くの人に届けたい
(この3つの深掘りについてはまた別の時に焦点を当てていきたい)
そういった軸が定まった時、偶然Twitterで見つけたのが金沢QOL支援センター株式会社だった。
福祉業界へ飛び込む
福祉に関しては経験がなければ知識すらない。まさにノーマークだった。ただ偶然目に入ったという御縁も感じ、ホームページを見てみた。そうして真っ先に目に飛び込んできたのが
”「障がい」をなくすしごと。”というブランドメッセージだった。
私自身、大学で社会学を専攻していたこともあり、「普通」や「当たり前」について考える機会が増えていた。そしてこのブランドメッセージを見た時にハッとした。
いつから「障害者」「健常者」に分けられていることに違和感を覚えなくなってしまったんだろう。いつから「障害者だから○○」「健常者だから○○」という線引きがされていることに違和感を覚えなくなったんだろう、と。
他にも会社や人について知っていくと、人を中心に考えていることや「福祉が地域を支える社会の実現」という、これまで支えられる側のイメージだった福祉の「当たり前」を覆そうとする挑戦、創業者の「障害者が障害があることが問題なのではなく、障害があっても活躍できない社会に問題がある」という思いにも共感をした。
何より自分が掲げていた軸と合致した。
福祉の経験がある/ないの問題じゃなく、知識がある/ないじゃなく、「もうこれは運命なのかもしれない」と思い、すぐにTwitterのDMに「選考を受けます」というメッセージを送った。時間にして1日も経っていなかった。
そうして今を迎えている。
実際に働いての「これまで」と「これから」
気づけば働き始めて1年半が経とうとしている。
最初は就労継続支援B型事業所というところで農福連携に携わった。そして1年目の途中から就労移行支援事業所に異動し、職業指導員をしている。
福祉とはなにか、支援とは何か。
右も左もわからない状態からの挑戦は本当に試行錯誤であったが、頼れる先輩・上司の背中を見てきてようやく「いろは」の「い」が分かってきた気がする。
支援について思うことは今後noteでもいろいろ記事にしていきたい。
そして2年目の今は新卒採用にも携わるようになった。これまでで30名以上の学生と面談を重ねてきた。本当に熱い想いを持った学生さんが多く、頭があがらない。
せっかく話すのだから自分だから伝えられることはないか、常々模索しながら面談を行っている。
今後自分がどうなっていきたいか。
その1つは軸の一つでもあるが、「自分がいいと思うものを多くの人に届けていきたい」という部分だ。
正直福祉の世界で、自分という人間はペーペーもペーペーだ。
知識も経験も発展途上で、何か資格があるわけでもない。自分よりすごい人は当たり前だがごまんといる。
じゃあ自分ができることってなんだ、っていうと発信だと思っている。
外から福祉の世界に入ってきたものとしての目線がある。
実際に中で働いてみての目線がある。
この2つをつなぐ架け橋になりたい。
福祉という仕事は「いいこと」は常にやっている。
ただその説明を省いてきた感覚がどこかにある。自分たちだけその良さをわかっていればいい。それが2つの間に生まれていた距離だった。
そこに足りないのは言葉だった。
だから私はこの2つを「言葉」で繋ぎたい。
それが直近の今後やりたいことだ。
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