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この世界は、A=Bだけじゃない

「必要十分条件」という言葉を聞いたことはあるだろうか。
たしか中学か高校の数学の授業で習った気がする。

A=Bのときがある一方で、
AだったときにBになるからといって、BのときにAとは限らない。
どっちが必要条件でどっちが十分条件か、みたいなぐちゃぐちゃした思い出が残ってる。

数学の世界って複雑で難しいなぁ、、、と当時は思っていて、でもどこか他人事だったけど実際の世の中って必要十分条件で溢れているんじゃないかって感じ始めたのは大人になってからな気がする。


というのも、この世界って(主語大きくしちゃう)いろんな物事に対して「A=B」で物事を判断しがちだと思っている。

「小さい頃は足の速い子がモテる」とか「デザイナーはお洒落だ」とか、「お笑い芸人は面白い」みたいな。

だってその方がわかりやすいから。定義しちゃった方が簡単だから。
今自分が働いている障害福祉の世界だってそういったA=Bの認識って多い気がする。その典型ともされているのが、「障がいのある人は働くことが難しい」といったところか。


それぞれ言いたいことはわかる。
100%あるうちの数%はそうかもしれないから。

実際に足が速い子はモテるだろうし、デザイナーはお洒落だろうし、お笑い芸人は面白い。障がいがあることによって働くことに難しさが生じている人だっている。

でもまるで「それがすべて」みたいな言いぐさは違う。
もちろん大変なのは承知のうえで、やっぱり見ていかないといけないは個別性であって。

だって足が速くてもモテない人だっているし、足が遅くてもモテる人だっている。つまり「足が速い」というのはモテる要素の1つに過ぎないわけ。

障害者雇用だってどんどん進んでいる。実際に多くの人が活躍している。合理的配慮のように、その環境でいかに不自由なく働くことが出来るか、そういった取組みもどんどん進んでいる。

だからA=Bと決めつけるのは、必ずしも全部が「必要十分条件」ではないわけで。我々はもっとグラデーションをみていかなきゃいけない。


だけど上記もしたように、日常的にたくさんの情報が嫌でも入ってくる今において一つひとつの個別性をみていくのはかなりのエネルギー消費であるということも否定はできない。

「そういうものなんだ~」

と流しちゃうこともあるかもしれない。

だから違いがわかっている側がリアルを届けていくことが大事なんだと思ってる。無論、言うまでもないことだったら言わなくてもいい。だけど間違った解釈をされてしまって困ることだったらちゃんと声をあげなきゃいけない。


と同時に、一人間としては簡単に決めつけてしまうことよりもそのグラデーションを楽しんでいきたいなと思う今日この頃。


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塩浦良太
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