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「自由」は難しい

小学生の頃はとにかく「自由」が欲しかった。

宿題なんかしたくない、勉強なんかしたくない。
友達と遊んでたい、ゲームしたい、スポーツしたい。

どこか遠出するにも大人の同伴が必要だった。
子どもだけで遊び行きたいな、遠くに出かけたいな。

自分たちだけに何かをすることに飢え、自分たちがやりたいことで時間を使う。そんな「自由」が欲しかった。

年齢を重ねても「自由」を求める節はある。
だがそれと同時に「自由」の怖さも感じるようになる。

我々は小さい頃、「自由」が手に入れられない中でもその代わりではないかもしれないが大人に守られてきた。いわばレールの上を走ってきた。

「自由」になるということはそのレールの上から外れるわけである。
楽しみが生まれる反面、全ての責任は自分に生まれる。そして誰も守ってくれない。

守られていることが当たり前だった人たちは、大人になり手に入れた念願の「自由」を使うことを恐れる。「自由」の使い方がわからない。怖い。だったら大人になっても決められたレールの上を走った方が楽かもしれない。

どこか皮肉なものだ。

小さい頃あんなに欲しかった自由。
自分の時間、お金など。いざ手に入れたときにどうすればいいかわからない。

だから「自由」は難しい。
でもその「自由」を楽しむことが出来るのなら、大人になっての時間は最高だと思う。

誰かの後を追った安定した道のりも悪くないかもしれない。
でも「自由」を謳歌し、途中藪道に入るかもしれないがそれでも自分の道を突き進む。そんな人生に憧れる。

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塩浦良太
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