3年A組から”言葉”について考える
言葉は人を救う。
何気ない一言でも、人によっては心が楽になってその人の人生観そのものまで変える可能性がある。ただその一方で、
言葉は人を傷つける。
自分本位な言葉が他者に向けられた時、それは相手を傷つける。この恐ろしさは言葉を発した本人がその危険さに気づいていないこと。人は言う。
「言葉は凶器になるから、ちゃんと考えて発言しないと」
ただ、何か自分の感情に触れるものがあった時、通常時持っていたはずの理性がプツンと切れ、いつの間にか自分がその言葉の当事者になっているケースがある。だからこそ、感情的になりそうな時に、客観的な視点を持たなければいけない。
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以前も言葉を記事内で紹介したが、私は「3年A組―今からみなさんは、人質です―」が好きだった。その中の印象的な言葉を紹介出来たらと思う。
逃げるな。そうやって大声で拒絶して、誰の声にも耳を貸さずに生きてきたんだな!そのせいであんなバカな真似をしても何も感じない人間になったんだな。
真実を明かして、明日と戦え、抗え。もがいて掴め!生きているお前にはそれができるんだよ。
迷って、もがいて、途方に暮れて、それでも正解を求めて前を向く。進んで進んで、ダメなら傷つきながら引き返す。で、また歯を食いしばって前を向く。みんなみっともないんだよ。でも、それでいい、それがいい。恥を繰り返して強くなるんだ。ってか、恥もかかずに強くなれると思うな!
何がいけなかったのか、上辺だけで物事を見ないで、よく考えるんだよ。目の前で起こっているものを!ちゃんと目で受け止めて、頭に叩き込んで、胸に刻むんだよ。本質から目を背けたらダメなんだよ。お前たちはもう感情に任せて、過ちを犯せる歳じゃないんだよ。それが許される歳じゃないんだよ。考えて、考えて考えて。答えを出すんだよ。
一人一人が目の前にある問題とどう向かい合うべきか想像力を働かせていろんな可能性を鑑みる。自分だったらどうするか?相手が自分だったらどうするべきかを考えて、それぞれの思いをぶつけあう。
ナイフをさせば血が出る。痛みも伴う場合によっては命も奪える。当たり前のことだ。でも今の社会は、こんな当たり前のことに気がつく暇もないくらいにせわしく回り続けている。相手に何をしたら傷つくのか。何をされたら痛むのか。それに気がつかない、感情がマヒした大人にはなってほしくなかった。
(・・・だから刻んでほしいんだよ!)右に倣って吐いた何気ない一言が、相手を深く傷つけるかもしれない。独りよがりに偏った正義感が束になることでいとも簡単に人の命をうばえるかもしれないってことを!・・(中略)・・他人に同調するより、他人をけなすより、まずは自分を律して、磨いて作っていくことが大切なんじゃないのか?その目も、口も手も、誰かを傷つけるためにあるんじゃない!誰かと喜びを分かち合うために!誰かと幸せをかみしめるためにあるんじゃないのか!
とてもメッセージ性のある素晴らしいドラマだった。
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便利になりすぎたのかもしれない。
私たちが考えなくても、何か手に入る時代になってしまった。
ただ便利だからこそ、それを使いこなすにはしっかり考える必要がある。
考えることから逃げてはいけないのかもしれない。
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