生き急いでいるんじゃなくて、今を噛みしめているだけだった
よく自分が過去の話や今の思いを話したりすると「生き急いでるね(笑)」と言われることがある。
それは別に揶揄とか馬鹿にしているわけじゃなくて、関係値がある人に言われることだから全然嫌な思いはしないし、なんなら
と笑って返している。
ただ「生き急ぐ」というのはこれまで生きてきた24年間、ずっと心のどこかに引っかかっているモヤモヤな部分でもあった。
これまでも記事にしたことがあるが、自分は幼少期からあんまり将来のことを考えられない人間だった。それは単純に想像もつかないし、言い方が難しいが「将来に希望がなかった」から。
希望があんまり持ててないのに、「将来のために、、、」などと考えるのもなんか違和感で、だから今を一生懸命生きてたし、今が楽しければいいな、とも思ってた。それでいいと思っていたし、そうするしかないと思っていた大学までの自分。ただそこから自分と向き合うようになって、「本当にいいの?」とも思うようになって。実際こんな記事も書いていた。
でも向き合いに向き合い続けた結果、1つの答えにたどり着いた。
自分は「生き急いでいる」んじゃなくて、「目の前の一瞬を噛みしめている」んだ、と。
と言われるかもしれない。確かにそうかもしれない。でも開き直るわけじゃないが、言葉ってそういうもんだとも思っている。意味の与え方は人それぞれだって。
人生先のことになるとわからない部分が多かったりする。そうやって「わからないこと」を考え始めると不安が膨らんでいくのが自分のタイプだったりもする。そんな自分のことを、誰よりもわかっているのは自分。
だから余計なことを考えなくていいように、自然と「生き急ぐ」ように、「今この瞬間を噛みしめる」ように自分を仕向けていたのかもしれない。
そう考えると昔からの自分は可愛いし、それに気づけるようになった今の自分は大人になったんだなと思う。
先の人生から逆算してうまいことやっていこうなんて器用な人間じゃないから、今の一瞬一瞬、ワンシーンワンシーンをいいものにする。それが結果的に自分の人生という長い作品がいいものになる最良の手段なんだと思う。
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