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「頑張らない」ことを覚えたから、もう一度「頑張る」ことが出来た。

わかりにくいタイトルになってしまった。
でもこのタイトルが一番あっているはず。

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「頑張る」と「頑張らない」

否定系であるため、正しい対義語ではないかもしれないが普通に考えても逆のことを言っているということはおわかりいただけるだろう。

少しずつ説明していく。

私は目の前のことを全力でやることが強みでもあり、弱みでもある。
性格上、出来るのにやらないという状態が嫌で、頑張っていない状態の自分を認められない質である。

するとどうなるか。

もちろん何か目標に向かって日々精進することは出来る。
ただ時に自分の限界がわからなくなり、キャパオーバーしてまで自分を追い込む癖があった。

それでも本当にパンクする寸前で気づいたり、目標を達成したりしていたので大ごとにはならずに済んでいた。

しかしその時はやってきた。

大学3年から4年にかけて。多くのことが襲い掛かった。
上手くいかない就活、就活をする上で悩んだ家族関係、いつもは自分の中で何とかすることが出来ていたし、頑張れば結果も出せていた。

でもいざ就活となると頑張っても頑張っても結果が出ない。

その「頑張り」はあくまで主観的なものであって、正しい頑張りではなかったのかもしれない。家族に対しても、自分の意思で就活という道を選んだため、やり切らないとという思いがあり、弱みを見せないようにしていた。

相談したいとも思えていなかった。

気になる企業を調べて時間を費やしても費やしても面接で落ち。
選考す済んだとしても最終的に落ち。

費やした分の時間だけどんどん積み重なっていき、冬に始めたはずの就活が春を過ぎ、夏を過ぎ、気づいたら秋になっていた。

その頃にはある程度選考が進んだ1社に絞り、就活をしていた。

「ここに行きたい」

しかしその思いは届かず。それはまた就活がゼロから始まる合図でもあった。

今までの自分は物事に対して、頑張って、努力して、それによって結果を残すことで自分を認めることが出来ていた。

しかし今の自分は頑張ったとしても結果が出せていない。
そしてまたゼロから就活をしなきゃいけないのか。
就浪、、?いやいや家庭的にもそんな選択肢はない。

選考不採用の連絡を受け、気づいたら心臓がバクバクなっていた。
(あれ、俺これからどうすればいいんだろう?)

”もう頑張れない”

そんな感情になったのは初めてだ。

そして気づいたら実家の祖母に電話をかけていた。家族の中でも頼れる存在だ。

「ずっと受けてたとこから連絡きたんだけど、、ダメだった。」

何を言われたでもなく、ただ自分でそう言っただけなのに次の瞬間には涙が止まらなくなっていた。

すると祖母は、

「別に頑張らなくたっていいんだよ。3月の卒業まで時間はあるし、絶対見つかるから。大丈夫大丈夫。」

「大丈夫」という言葉がこれほど心に刺さったのは初めてだった。

電話を終えると自然と気持ちが前に向いていた。
(無理に頑張る必要はないんだな。そしてもっと自分に自信持つべきだな。)

すぐに企業探しを始めていた。
今まで使っていなかった選択肢で就活を再開を始めた。

大丈夫、自分なら出来る。だから焦る必要はない、と。

しんどいときは休めばいいし、誰かを頼ればいい。
弱音だって吐けばいい。

頑張らないことを決めるには勇気が必要だけど、
頑張りすぎて取り返しがつかないことになりかねないこともあると思うと、
たまには立ち止まることも必要だな
、と。

なんでもかんでも自分でやればいいというわけじゃない。時に人に任せ、時に隙を見せ、余白をつくる。頑張るところにはしっかり焦点を当てる。

たまにボーッとする時間をつくったり、バイトのシフトの数を減らしたり。これまでの自分ではしてこなかったことをやってみた。

立ち止まって、ちょっと休んで。でも休みすぎないでまた動き出す。

やることとやらないことを決めるきっかけにもなった

そして自分は一人じゃないということにも気づけた。

時間面、精神面の代償は大きかったかもしれない。
それでも、「頑張らない」ことを覚えたから、もう一度「頑張る」ことが出来、就活も成功したと思っている。

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