近い人にほど忘れがちで、でも一番大切なこと
先日、YouTubeである動画を見た。
テレビプロデューサーの佐久間さんに関してはradikoで「オールナイトニッポン0」をタイムフリーで聴くくらいに好きだし、さらば青春の光の森田さんもコントの世界観だったりそもそもの考え方も好き。なおかつ佐久間さんはフリーになったばかりだし、森田さんも自分で事務所を立てて社長として活動もしている立派な経営者だ。
だからこの動画を見ないという選択はなかった。
”はたわらワイド”という名の通り、「はたらく」ということをテーマに話が展開されており、どの部分も興味深く、学びになるとこばかり。
その中でも一番考えさせられた部分は動画の1時間23分あたりの話題。質問で寄せられた「もっと褒められたい」という話。
別に全員が全員、誰かに褒められたいから仕事をしているわけではないと思う。自分がやりたいことがある、作りたい社会がある、描きたい未来がある。そういった「理想」を持って働く人もいれば、お金を稼ぎたい、安定した生活を送りたい、趣味に時間をつくりたい、そういった思いで働く人もいるだろう。
だから「働き方」に正解なんてものはない。
だけど、どんなに目的意識を持っていても、どんなに私生活を優先していても人間には承認欲求がある。だから少しは「褒めてもらいたい」という気持ちが生まれてもおかしくない。
褒めてもらえることで、「自分がやってることは間違っていない」と確認することも出来る。そして何より嬉しい。
褒める、というとなんだか上から目線の感じもするので別の言い方をすると「感謝」されて嬉しくない人はいないはず、といったところか。
だけど動画の中でも話に出ているが、身近な人に対してほど「褒める」や「感謝する」という機会がなくなっているように感じた。
きっとしょうがない部分でもある。
周りに人にとってはそれがもう「当たり前」になっていて、言わないということはそれだけ信頼している証拠だ。
だけどしょうがないで片づけてはいけない部分でもある。
いくら気持ちは持っていても、それを言葉にしなきゃ伝わらない。
好きな言葉がある。
「身近な人ほど、大事なお客様」
家族、友達、同僚、先輩などなど。
普段当たり前のように接していて、その人の特徴を知っていて、出来ることを知っていて、出来ないことも知っていて。
「だからこれくらいはやってくれるだろう。」
「言わなくてもわかるだろう」
そうなりがち。
だけど、身近な関係だから「それ」でいいんじゃなくて、身近な関係だからこそ大事にしなきゃいけないんだなって改めて考えさせられる。
だって一番近くで助けられてきて、背中を押されてきて、刺激を受けてきて、きっとこれからもそんな関係が続いていくのだろうから。
そんな存在が近くにいることを「当たり前」に思っちゃいけないなって。
「当たり前」は常に用意されているわけではない。
目の前の「当たり前」こそ「有難い」ことなんだ、と。
相反する言葉かもしれないけど、実に近い言葉だと思っている。
近い人に対してほど、感謝の気持ちを大切に。思うだけでなく伝えていきたい。