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蕾は花開く準備をしている

#就労支援の現場から

昨日、私が働く就労移行支援のご利用者様1人が最終通所日だった。
来週以降、復職していく。

移行支援に通われているご利用者様に対しては1人1人思い入れがあるんだけど、その方はまた少し違う角度で思い入れがある。

私が移行支援に配属されたのは2022年の1月。
その方が移行支援に初めてやってきたのも1月頃。

言ってしまえば立場は違えど「同期」だ。

その方の復職に向けたこの約1年の変化をすべてこの目で見てきたから、なんだか感慨深いものがある。

失語症のその方。
最初はそもそもの会話量が少なかった。本人自身で「失語になったから話すのが苦手」という意識があったのかもしれない。

それからその方には注意障害もあった。
目線がズレると頭の中でイメージしているものもズレたり、集中が続かなかったり。

そんなその方のフラストレーションがたまっている様子や葛藤している様子をずっと見てきた。その気持ちに同情することもできる。でも本人も同情っていらないはずで。本人の中には「復職したい」という強い思いがあった。

だからこちら(支援員側)も、「そのため」の関わり方をした。
フラストレーションがたまったとしても本人の苦手な部分にアプローチしたり、ちょっとのミスも妥協を許さず最後までやり切ってもらったり。

話すのがちょっと苦手かもしれないけど、みんなの前でスピーチしてもらう機会をつくったり。その場で安心してしゃべれる環境をつくることで、「あ、喋っても大丈夫なんだ!」と思ってもらうように努めたり。

最初は本人も受け身だった。
たまに苦手なものに対して嫌な顔を見せることもあったけど、そこに対しては「なぜ必要か」「どうしてこれをするのか」それを一緒に確認した。

そうやって2か月3か月やっていくうちに変化が見られるようになった。

話す量が増えてきた。
見直しをする時間が増えてきた。
「今日ここ意識しました」と考えて取り組むようになってきた。

自らの意思で、「変わろう」とうする姿勢が出てきた。

これって就労支援もそうだし、それに限らず人と人との関係すべてに通ずるものな気がするんだけど、

周りがその相手に与えられることが出来るのは「変化のきっかけ」に過ぎないと思っていて。本人を変えることまでは出来ないと思っている。

最後に変わるかどうか判断するのは本人の意思に委ねられている。ここが難しさであり奥深さでもある。

今回の方は、紛れもなく自らの意思で「変わる」ことを決断した

そして今年に入り復職が決まり、昨日が最終通所日だった。

「お世話になりました」

かつてその一言でさえもなかなか言うのに苦労していたその方は、過去からの成長を懐かしむようにこれまでの変化を喋ってくれた。

「お疲れさまでした!ここからがまたスタートラインですからね。」

最後にそう言って送り出した。
最後だけど、最後じゃない。復職してから6か月は職場に定着するためにサポートをしていく。だから関わりが終わるわけじゃないけど、でも節目は節目だ。

その方を送り出してから事業所の前を見ると黄色い花が目に留まった。

そこには「開いた花」「蕾の花」

今回の方は花を開き、元いた場所へと戻っていた。
移行支援には花開くその瞬間に向けて日々頑張っている方々がいる。

今はまだ蕾の段階かもしれないけど、蕾だって花として生長していくために欠かせない過程の1つ。それに”花”であることに変わりはない。

それに開花のタイミングなんて人それぞれ。
旬の時に咲けばいい。

私たちとしては、1人1人の方が目指す「旬」に向けて伴走をしていくのみ。
次に咲く花を、また楽しみにしている。

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塩浦良太
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