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ちょっと生き急ぐくらいがちょうどいいのかも。

先日石川県で地震が起きた。

震源は能登半島のほうで、最大震度6強。
金沢市も震度4を観測していた。

私はちょうど仕事中で、ちょうど送迎中。揺れはそこまで感じなかったのだが、街の信号機が揺れていることと、鳴り響く緊急地震速報の音で事の重大さを感じた。

地震には何かと縁のある人生だ。

保育園の時に中越地震を震源地近くで体感し、小学生の時にも中越沖地震も震源地近くで体感する。東日本大震災も、震度4程度を体感する場所にいた。

天災が多いこの日本という国でも、結構それを味わっている気がする。

大学の時は講義で東日本大震災の原発から新潟に避難してきた方のリアルな声も聴いた。月並みな表現だが、すごく考えさせられるものがあった。

当たり前の日常を送れていることのありがたさ。
災害が起こった時に助けに来てくれる人たちのありがたさ。
何度倒れてもまた元に戻ろうと、いやむしろさらによくなろうと立ち上がれる人間のたくましさ。
でも時にそういった努力や頑張りを、一瞬にして奪ってしまう天災の恐ろしさ。

そしてこの前の地震。



改めて思う。

いつ何が起こるかわからないな、って。

ちょっと壮大な話になるが、私たちは約束された明日、約束された1時間後がない中で日々生きていることになる。

そんな日常に対し、どれだけ”今”を向き合えているだろうって度々思う。

今を全力で楽しめているのだろうか。
今向き合うべき問題と向き合えているだろうか。
今伝えたいことをちゃんと伝えられているだろうか。

後回しにしていないだろうか。

こういう考えになると、

「生き急いでいる」

という見方をされることもあるけれど、余裕持って後回しにした結果、あとで後悔するくらいだったら生き急いだ方がいいと思っている。

時間は返ってこないから。

自分1人で完結するものであればまだ多少後回しにしてもいいのかもしれないが、そこに自分以外の誰かが介在するものであればなおさら”今”を大切にしなきゃいけない。

そんなことをつくづく思う。




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塩浦良太
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