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"「かわいそう」って思われるのが本当に嫌”

テレビ番組「日曜日の初耳学」内で行われる”インタビュアー林修”は毎回素敵な、そして考えさせられる内容をお届けしてくれる。

以前もクリーピーナッツさんの回に注目して記事で取り上げた。


今回取り上げるのはムロツヨシさんの回だ。

明るいキャラクターとアドリブ、今や人気俳優の一人であるムロツヨシさん。そんなムロさんの過去に迫っている。

なかでも印象的だったのは幼少期の頃のお話。

ムロさんが4歳の頃に両親が離婚されたという。自分と一緒だ。しかも父が親権をとったのに、その父は親戚にムロさんを預けたらしい。

なんなら自分よりもすごい環境かもしれない。

外から見るととても大変そうな境遇で育ったムロさん。しかし小学3,4年生の頃から友達に対しては、

「俺、お母さんいないから」

と平気で言うようになったらしい。

普通なら恥ずかしくてなかなか言えない。だけどムロさんは違った。その理由に関して、

「かわいそう」って思われるのが本当に嫌


だという。

「かわいそう」と思われることは自分としても、そして育ててくれると決めた親戚に対しても失礼なことだ、という。

この気持ち、自分はものすごくわかる。

たしかに周囲と比較すればかわいそうな部分もあるのかもしれない。だけどそれは環境の違いなだけ。

親がいないかわいそうな部分もあれば、両親がいることでかわいそうな部分もある。そしてどちらにもそれなりの良さがある。

その環境をどう受け止めるかは自分次第で、環境に屈したと思われることだけは嫌だった。

周りからすれば「悲劇」だと思える状況を、ムロさんは小学生の頃から「ユーモア」とまではいかずとも、堂々と公言していた。


しかし自分は逆だった

「かわいそう」って思われるのが嫌だったから、怖かったからずっと周りには言えなかった。相手を「かわいそう」っていう気持ちにさせるのも申し訳なかった。そして「かわいそうなことじゃないんだよ」といちいち説明するのも面倒くさいなと思っている自分もいた。

だからよっぽど心を許している人間にしか、その話をしたことはなかった。

今となっては自分も、もっとはやく言うことが出来ていたらとは思っている。「悲劇」をユーモアに変えることが出来ていたら、って。


自分は一度たりとも、自分が置かれている環境を「かわいそう」だなんて思ったことはない。

この状況だから経験できたこと、巡り合えた人がいると思っている。


最近「親ガチャ」という言葉をよく耳にする。

なんなら今朝もテレビで報道されていた。この言葉に対しては賛否両論はある。だから一概に「こっちが正解!」とは言えない。

「親は子どもが選べない」


確かにその通りだ。

有難いことに、本当に、本当に深刻な状況で、「自分ではどうしようもできない」という環境ではなかったのでその人の立場や考えというのは計り知ることは出来ない。

だからこれはあくまで私見だ。

私見で言うと、

「ガチャが失敗したとして、それで”残念だった”で終わりでいいの?」

という感じ。


ゲームのガチャだったら、ストーリーを進めていくうえで手に入るもので再度挑戦出来たり、課金することで再度挑戦出来たりする。そうすることで、ストーリーを新たな布陣で挑むことだって出来るかもしれない。

だけど「親ガチャ」は再度挑戦できるわけじゃない

そんな自分でコントロール出来ない結果で、自分の人生幸か不幸か決めていいの?って思う。それで人生後悔しないの?って思う。


これはもしかしたら「強者」の意見なのかもしれない。

でも強者も弱者も、どっちになるのも自由だ。どっちを選んだっていい。だって結局返ってくるのは自分自身、自分の人生なのだから


だったら自分は「強者」になりたい。

与えられた人生を強く、楽しく、前向きに歩き続けたい。


「かわいそう」じゃなく、「あぁなりたい」と思われるくらいに。

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塩浦良太
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