自分の”唯一無二性”に気付けるかどうか
皆さんは「自分」に自信を持っているだろうか。
「自分」という人間を相手に説明できるだろうか。
なんか堅苦しい入りになった。
かくいう私は昔は全然自分のことを相手に説明できなかった。
むしろちょっと避けていた。説明しなくてもいいように、空気を感じてカメレオンのように合わせていた気もする。
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自分が「何者」であるかを求める時代になってきた。
終身雇用だったり、安定した未来だったりがぼやけて見え始めた今の日本の中で、いかに”個”に力をつけるかが大事だ、みたいなフィーチャーのされ方をしている気がする。それ自体は悪いことじゃない。
「自分はこういう人間です!」
そうやって自信をもって言える「何者」かを目指す。
ただそれはかえって、何者でもない自分に対して劣等感を引き起こす要因にもなっている気がする。
「自分なんか」「自分なんて」「何者でもないですよ」
そんなことを言ったことはないだろうか。
私はある。
でもそれって本当にそうなの?
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あるラジオを聴いていて耳に入ってきたフレーズがある。
人は肩書だったり実績だったりで自分自身が「何者」であるかを判断しようとする。
確かにそれはわかりやすい。
でも所詮その肩書だったり実績だったりというのは、その人自身の一部に過ぎない。しかも同じ肩書だったり実績だったりを持っている人は世の中に結構いることが多い。
そう考えた時、「自分自身」が唯一無二であるということに気付く。
これってなにも精神的な何かとかそういうわけじゃなく、事実として。
だって出会ってきた人、直面してきた経験、読んできた本、行ってみた場所、食べたもの、部分部分で共通のものはあるかもしれないけど、それらすべてがまったく一緒なんて恐らく、いや絶対いないはずだ。
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私にはいくつか大事にしている考えがある。そのうちの2つを紹介すると、
人は触れてきたものでしか物事を語れない。
だから出会ってきた人の言葉遣いや喋り方に似てくるし、喋った数、読んできた本の数、見てきたテレビの数などで語彙は変わってくる。英語に触れないと、英語が喋れないのと同じように。
加えて、アイデアは何もないところから生まれることは滅多にない。何か思いついたとしても、それは大抵誰かがすでに思いついている。結局はすべて組み合わせであって。組み合わせることによって独自性が生まれてくる。
つまり何が言いたいかというと、
自分の意見、ちゃんと持っていますか?
自分だったらこう考える、を持っていますか?
ということ。
よく、「自分みたいな立場の人間が何か言ったって、、、」とか「自分よりもっと詳しい人がいますよ、、」みたいなことを言う。確かに場面によってはそのスタンスが正しい時もある。でもだからといってそれは、あなたが意見を持たなくていい理由にはならない。
そして多くの場合は、”あなた”という人間の考えを求めていることが多い。
なぜなら”あなた”の考えは唯一無二だから。
”あなた”にしか言えないことだから。
これは自戒も込めて。
当事者意識を持つために必要なのは、専門的な資格だったり、勇気や度胸だったりも大事だけどもっと大事なものがあるということに気付いた。
それが”唯一無二性”を自覚することだ。