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承認欲求は悪か力か

「承認欲求」に対してどういったイメージを持つだろうか?
そもそも承認欲求とは、

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求。
                           Wikipediaより

というものである。

承認欲求はあってもいいという考えや、承認欲求は良くないという考えなど人によって捉え方は様々である。
「嫌われる勇気」に登場するアドラーは「承認欲求はいらない」と言う。
マズローの欲求5段階説にも登場してくる。

マズロー氏によると、わずかな例外こそあれ、社会に生きるすべての人間は、自己肯定感(self-esteem、自己重要感とも)や他者からの肯定(esteem of others)を必要としています。「自分に満足したい」「自分を認めてほしい」という気持ちの総体が、承認欲求(esteem needs)です。
https://studyhacker.net/esteem-needs

私としては「承認欲求」は悪にも原動力にもなると考える。

原動力から考えてみたい。
人から褒められてたい。誰かに認められたい。だから仕事に勉強に打ち込む。それはモチベーションアップにつながる。そこで結果を出すことによって自己肯定につながり自分の自信となっていく。自分の目指しているものとマッチするのであればなおさら力となるだろう。

では悪になるケースは何なのか。
それは自分の意志を殺してまで求める承認欲求だと考える。「別に自分はやりたくない」「反対意見をもっている」だけど、周りに評価されたいから周りの期待通りに演じる。私としては自分の意志を殺してまで求める承認欲求は良くないと考える。もしそこで評価を得られたとしても、その評価は偽りの自分に向けられた評価であり、周りが求めているのは偽りの自分。いつまでも自分に嘘をついていかなければならない。そんな人生はしんどい。

承認欲求を目的とした人生ではなく、自分の生き方をする上で承認欲求を満たされたらラッキー、それくらいの人生でいいのかもしれない。

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塩浦良太
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