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強い自分、弱い自分、全部「自分」。

「大切なことは、いつも過去の記事が教えてくれる(塩浦良太)」


まるで偉人の名言かのように紹介したが、これはたった今思いついた言葉だ。思いついたのは今だけど、思っていたのはずっと。

困った時に立ち返りたくなる場所、それが過去の自分の記事。
過去の記事は自分の取扱説明書でもある。

時々そんな取扱説明書を、気づいたら欲しているときがある。今欲していたのは、

だ。

ものすごく簡単に要約すると、

「偽物の自分なんていないよ。どれも本当の自分だよ」

ってこと。

人って自分の思い描いた通りにいっているときは選択も行動も前向きに積極的になっていく。そして大抵そういうときは何事も上手くいく。

その一方で上手くいかない時もある。そういう時って自然と思考もネガティブになっていったり行動も保身に走ったり。調子がいいときに出来ていたことが出来なくなってしまうことがある。

強い自分と弱い自分の二項対立的考え。

過去の強い自分が頭をよぎるから、その時の弱い自分に対して、

「こんなの自分じゃない!もっと頑張れ!」

と発破をかける。

その発破がいい方向に作用することもある。ただ作用しないこともある。むしろそうやって自分を追い詰めることでより自分の首を苦しめることもある。そして沼にハマっていく。


そんな時、上記記事の「分人主義」という考え方が頭にあれば少しは楽になる気がする。どれも「本当の自分」なんだって。

強い選択を出来ている自分も本当の自分だし、弱い選択しか出来ていない自分も本当の自分。そのどっちもが「本当の自分」だよって。だから、

「こんなの本当の自分じゃない!!」

過度に自分を責めたり、現実から目を背けたりするのはむしろ逆効果。

だからといって「弱い自分も自分自身なんだからしょうがないね。ちゃんちゃん。」で終わらせていいというわけでもない。複雑だね。


必要以上に責める必要はないし、必要以上に過保護にする必要もない。

強い自分も、弱い自分も、どっちも本当の自分。その2つの本当の自分を並べた上で、

「じゃあ自分はどっちの自分でありたいか」

を考える。だってどっちの自分にもなれるんだから。なった過去があるんだから。

どっちでありたいかを考えず、気持ちに左右されてたどり着いたのが強い自分であり、弱い自分で。

だからここで一回バシッとどっちの自分でありたいかを決めちゃった方がいいのかもしれない。「なりたい」ではない、「ありたい」だ

「なりたい」っていうとどこか願望も含まれているし、ちょっと難しそう、、、という印象もある。だけど1度なったことのある「自分」だから「ありたい」でいいんだ。

そうやって堂々とありたい自分であることを目指す。

すっごくすっごく当たり前のことを、ものすごくスケール大きく書いたけど、でもこれって過去の自分が書いたnoteを読まなかったら気づけなかったことで。

「大切なことは、いつも過去の記事が教えてくれる」

とほんとのことだったんだな、自分で自分を褒めたたえる。

そしてきっとこの記事も、未来の自分が読んで救われる記事になるのかもしれないと思うとなんか面白い。

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塩浦良太
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