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人生は全部アタリのあみだくじ

最近読んでいる本にこんなフレーズが書かれていた。

「私の人生は、どの線を選んでも全部アタリのあみだくじだと思う。」

すごい好きな表現だなと思った。

まず最初に考えておきたい部分として、
私の中で「正解」と「当たり」って似て非なるものだと思っている。
Google先生で検索してもここのあたりの見解は出てこなかったから完全に独自の見解にはなる。

わかりやすい例でいうと、

「1+1の答えは?」という質問があった時、
正解は、”2”が一般的だ。
ただ当たりという視点で考えた時、2も当たりだし田んぼの田だって当たりだし、2進数で考えたら10だって当たりだ。


それぞれの道には「正解」と呼ばれるものがある。

それは求められていることに対して、その求められていることに合った答えにたどり着くこと。私たちはそもそもはその正解を目指してことを始める。なんせ学校のテストとかがそうだから。求められている答えを出すことで○を付けられて、それが評価につながるから。

受験だったら第一志望に合格するのが正解だし、就活だって志望企業の内定をとるのが正解なんだろう。

だけど人生ってそんなに単純な話じゃないと思うんだ。というか、それで正解にたどり着けなかったらお先真っ暗な人生なんかもったいないと思うんだ。

「人生はあみだくじ」


そういった表現は時折耳にすることがある。

言われてみれば確かにそうだ。
幾度となく分岐点に立たされる。
選ばれたAがあれば、選ばれなかったBがあって、ただ1回の選択ですべてが決まるわけではなく、分岐点はその先に何度も何度も現れる。

1回の選択で決まるものじゃない。

確かに希望する道に進めないこともあるかもしれない。
でもその道を選んだことで出会えた人もいるし、出来た経験もある。それが長い人生自分に欠かせないものになっていたりする。

そう考えれば正解ではなかったかもしれないが、大当たりではある。
人生をかけて大事と言えるものに出会えたのだから。


正しいものを選んでいくことは大事だ。
だけど正しいものを選べなかったから終わりなんてことじゃない。
そもそも事前にわかっている「正しさ」なんて誰かの基準を参考にして定められたもので。正解を選んだから成功するとは限らない。

「選んだ道を正解にしていく」というのはちょっとムキムキすぎるフレーズだからあんまり使いたくないけど、「選んだ道に転がっている当たりを拾っていく」くらいの感覚でいいんじゃないかと思う。

何を選んだって選んだ道には選んだ道なりの「当たり」が転がっている。それを1つずつ拾っていくことで、最終的に「いい人生だったなぁ」と思えれば大成功だ。


これからどんな分岐点が待っているか楽しみだ。




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塩浦良太
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