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「この人だったらなんと言うだろう」

例えば本とか、例えばSNSの投稿とか、例えばこういったnoteの投稿だってそう。

皆さんはどういった基準で「読む」「見る」を選ぶだろうか。
可処分時間という言葉が使われて久しくなった。いろんな素晴らしいものが溢れた昨今で、我々は毎日が24時間の取り合いだ。

そういったときに、何かを「読む」「見る」というのは、やはりタイムパフォーマンスとしては悪くなる。だって"それ"をしているときはそれ以外のことが出来なくなるから

それでも、その事実を知ってでも本を、ネットサーフィンを、いい記事との出会いを求めるのだから奥深い。自分もそっち派の人間だし。


話を戻して。

どういった基準で、一見タイパが悪いと言われがちなものを選んでいくか。たしかに有名になったものを見ていく、というのはトップクラスにあがってくる理由だろう。わざわざ時間を使うのであれば、絶対に外したくないから。

ただそれと同じか、いやそれ以上に「誰が書いてるか」ってめちゃくちゃ大事だと個人的には思っている。中身なんて気にしない、気にしないというか、「もうこの人の書く文章は信頼している」というものは、何の迷いもなく見に行く、といった感じか。

そう考えたときに、

「この人だったらこれを何と言うのだろう」

という視点を常々持っているなぁと感じる。

今自分が抱えているこのモヤモヤ、葛藤、ワクワク。それに近い感覚を、あの人はどうやって表現しているだろうか。自分が言語化しきれていない部分を補ってくれたり、自分とは違う視点を持っていたり。そういったものを見て自分はさらにワクワクする。

何を言うか、はもちろん大事なんだけど、それ以上に誰が言うかって大事なんだと思う。言葉の説得力が変わってくる。

だから迷ったときはいつも自分に問いかける。

この状況、この感覚を"あの人だったらどう表現するだろう””どう捉えていくだろう”、それだけで一歩俯瞰に立って物事を見ることが出来る。


ただ私だって一表現者だ。何なら広報という仕事もしているから、人に読ませる、そして読んでワクワクさせるような文章を綴っていかなきゃいけない。だから憧れるのはやめましょう(CV.大谷翔平選手)。

「この人だったらこの状況をどうやって表現するんだろう」
「この人だったらこのトピックスをどうやって発信してくれるんだろう」

そんなところにワクワクを感じてもらいたい。そのためにはもっともっと書き続けないといけないし、いいと感じるものに触れていかないといけない。

探求はまだまだですね。


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