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「もったいない」の尺度

子どもから大人になって変化したことっていっぱいある。

もちろん体格的な側面もそうだし、責任感だったりもそう。
他に大きな部分として「時間感覚」もそれにある。

これって言ってしまえば人それぞれな部分もあるけれど、大人になるって自由が増えるようであんまり増えた感覚もなく、むしろ時間だけで言えば狭まっている感覚になるのは私だけだろうか。

ただ表現として難しいのは、”それを自分で選んでいる”というのが大人になることで。子どもの時ってあまり時間に対して自分の選択権がなかった。学校があったり、家族と一緒だったら決まった時間にご飯を食べたり、決まった時間までに家に帰らなきゃいけなかったり。

そういった意味では、大人はある程度の自由さがあるけど、そこに伴って責任も大きくなる。その責任を果たすために費やさなくてはならない時間がある。ただその責任を背負うことを選んでいるのは自分である。そういった構図だ。


前段が長くなってしまったが、
そうやって自由が増えながらも責任が増し、「費やさなくてはならない」時間が増えたことで「時間効率」を求めるようになったのが大人になっての変化だと感じている。

「この時間、もったいなくない?」

と感じるものを減らす、というイメージ。

何かに悩む時間だったり、興味のないものに触れる時間だったり、ただ機械的に何か作業をする時間だったり、気づいたらスマホを眺めている時間だったり。ただ、”必要”な時間もあるわけで、その中では「じゃあいかに意味あるものにするか」は考えなくてならない。

そういった「時間効率」を考えるようになった中で、30分とか1時間とかの時間の価値を感じるようになる中で”もったいない”の尺度をどこに置くか、って人それぞれの個性が出ると思う。


「ウィンドウショッピング」って、人によっては”もったいない”と感じる部分じゃないだろうか。

だって最近はネットショッピングが発展して、わざわざ買いに行かなくても手に入れられる時代になったから。ウィンドウショッピングの1つに「本屋さんに行く」という行為がある。本だってここ10数年でかなり状況は一変した。それこそネットでも買える時代だし、電子書籍だって増えた。YouTubeで紹介してくれるチャンネル、動画もある。本屋さんに行かなくても、欲しい情報を得られやすくなったのだ。


でも自分は、「本屋さんに行く」という行為を”もったいない”とは思わない。むしろ自分にとって必要な時間だと位置づけている。

今日も本屋さんに行った。
興味のあるコーナーに足を運ぶ。そこには気になる本もあれば、聴いたことのなかった本もある。そこから派生して別のコーナーへも行く。気になるタイトルがある。気になるデザインがある。そうやって練り歩いていると自然と30分、1時間と時間が経っている。

ただこれを”もったいない”とは思わない。
というか、”もったいない”と感じないだけの心の余裕を持っていたい。

いろんなところにアンテナを張って、興味の触れる方に傾いて、「あー、やっぱり自分ってこれに興味があるんだな」とか「意外とこういうのにも心動くんだ!」とかちょっとした変化に敏感でいたい。

そのために本屋さんって自分にとってはうってつけだ。
毎回何かしら本を買ってしまうから、お金の消費には気を付けたいところだが…。それもまた一興。


何に対して”もったいない”と定義するか、
何に対して”自分に必要”と定義するか。

その時々に変わる部分ではあるけど、変えちゃいけない部分もある。
そこのあたりの定期検診はやっていきたい。

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塩浦良太
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