「自分がその人を愛せる距離を探る」
昨日偶然Twitterでやっていた岸田奈美さんのスペースを聞いていて、めちゃくちゃぶっ刺さった言葉がある。
それが、
「自分がその人を愛せる距離を探る」
おわかりいただけただろうか。
なんだか昨日自分が書いた記事で近しい部分もある。
ちなみに昨日はこんな言葉を紹介した。
「悪い人なんてのはいなくて、それは自分にとって都合の悪い人なだけだ」
人間だから好きな人もいれば嫌いな人もいる。
得意な人もいれば苦手な人もいる。
人を好きになるってそれだけで幸せな気持ちになるし、好きな人と会うのはそれだけで嬉しいけれど、人を嫌うって、しんどいし、苦手な人と会うってそれだけでエネルギーを使う。
でもそんな時に上記の岸田さんの言葉が刺さる。
「自分がその人を愛せる距離を探る」
基本的にその人との距離感を決めているのは自分自身だ。
もちろんそう「せざるを得ない」環境もあるとは思うけど、その中でも多少は自分自身でコントロールできる部分があると思う。
裏切られた気持ちとか、思っていた感じと違う状態って結局は自分が距離を見誤っただけだと思う。
距離をつめてみたけど相手の反応なんか違うな。ちょっと自分しんどいな。
これはやってみないとわからない部分もあるが。
先程も書いたけど、せっかく人と関わるなら幸せな気持ちでいたい。相手のことを好きでいたい。だったらその人を愛せる距離を探ろうよ、という話。
めちゃくちゃ親身になって相談したり、何かあったら逐一連絡したりそういった関係もありかもしれない。
その一方で仕事上の付き合いでいいかな、とか緊急事態だけでいいかなとかそんな関係もありかもしれない。
一見冷たいように見えるし、突き放しているようにも感じるけどだけど実はそれがお互いのためだったりする。自分を押し殺して感情に蓋をして接しているよりはお互いが心地よくいられる距離感の方がよっぽど健全的だ。
関わっていく中で、「ちょっと距離つめてみようかな」と思ったら詰めればいいし、「距離置こうかな」と思ったら置けばいい。
そこらへんは適宜柔軟に対応していけばいい。
一番危ないのは「○○じゃなきゃいけない」という考えに縛られること。
例えば家族だったらどんなにつらい経験をしたとしても最後まで近い距離間で面倒みないといけないとか、恩を持ち続けなければならないとか。
私の場合も多少いろいろあったけど、父は私に言ってくれた。
「お前を生んでくれた親かもしれないけど、だからといってすべてに従う必要はないし、見捨てることがあってもいい。一番は自分を守れ」
自分で自分を守るって、当たり前のようで実は一番忘れてしまいがちな気がする。
でも私は父のその言葉を聞いて、ずっと心にあった重りがスッとなくなった気がした。
その人を愛したい距離感がある。
だけど今そのタイミングじゃないときだってある。
でも私たちは距離感は自由に変えることが出来る。
もちろん相手との関係で成り立つのが距離感だから、全てが自分の思う通りにはならない。
でもわざわざ相手を嫌いになってしまうような距離感に留まる必要はないし、「こうでなければならない」という距離感に縛られる必要もない。
柔軟に対応し、お互いにとってWin-Winな距離感を見つけていけばいい。
「自分がその人を愛せる距離を探る」
自分にとって忘れられない言葉の一つとなった。